六カ国協議が始まった二〇〇三年、米ブッシュ政権は北朝鮮を「悪の枢軸」と非難、先制攻撃も辞さない姿勢を見せていました。北朝鮮は、これを「宣戦布告」と受け止め、核武装を推進しました。世界一の軍事力を誇示し、北朝鮮に核放棄を求める米国と、“核カード”で米国に「敵対政策」の放棄を求める北朝鮮の対立は、朝鮮半島と北東アジアの緊張を高めました。北朝鮮の核開発は、日本の安全を直接脅かすものでした。
それより以前に北朝鮮は核武装をしようと開発を進めていたのを止めさせるため、軽水炉を供与するとしてKEDOなんか作ったりしていたのをごっそり削除w
ついでに、最大の転機は911なのに共産党の言う転機は
それに転機をもたらしたのが、〇五年九月の六カ国協議の共同声明の採択でした。共同声明は、北朝鮮核問題を「平和的方法」で解決する原則を改めて確認。北朝鮮は、すべての核兵器、核計画を放棄し、核不拡散条約(NPT)に復帰することを約束しました。六カ国はそれに対応した措置を「行動対行動の原則」に基づき、段階的にとっていくことで合意しました。
協議に参加した六カ国が、国連憲章と国際規範を順守し、朝鮮戦争(一九五〇―五三年)以来、対立を続けた米朝両国が、相互の主権尊重、平和共存を確認したことも、その後の交渉を進める上で重要な基礎となりました。
北朝鮮は、そんなこと気にもしてなかったろう。それが証拠に
〇六年の北朝鮮の長距離ミサイル発射と核実験は、新たな緊張をもたらしました
わけだ。しかし、テロ国家指定解除というアメと経済分野で締め上げるムチを併用して北朝鮮を譲歩させ
国際社会が、六カ国協議の枠組みでの解決を一致して要求。米国は、米朝二国間協議を拒否していたそれまでの政策を転換しました。米朝協議を受けて北朝鮮は六カ国協議に復帰し、核放棄に向けた「初期段階」(〇七年二月合意)、「第二段階」(〇七年十月合意)の措置がとられることになりました。
というのが普通の認識。
歴史の都合の良いパッチワークをやっていると、現代の事件までパッチワークやりたくなるのだろうか?