非常に興味深いやり取りなので・・・
こうしてみるとかつての日本は懐深いというか・・・共産党学生でも就職できたし、かつて特高に捕まり投獄されていても獄中研究が注目されてぜひ協力してくれと軍が頭を下げてきたなんて人もいましたね。南喜一という方で、その研究が元で製紙会社を興したのですね。

寸劇の虚人
実際問題ですが、共産党の専従職員をやっていて一般社会に転職するにはどうすればいいのでしょうか?例えばハローワークへ行って、前職「政党職員」と書いても、どの政党ですか?と聞かれれば共産党です、と答えざるを得ない。
 
それとも、パソコン技能とか経理技能とか有れば純粋にそれだけで評価されるのか?もちろん、面接までこぎつけても、前職が「共産党職員」では採用する企業、会社はないか?
 
実際に共産党員職員から一般社会の会社企業に転職された方(特別な縁故関係なしで)っているのでしょうか?共産党員職員歴を隠してやれるアルバイト的な仕事しかないのでしょうか?それなりに偉そうにしていた共産党専従職員が時給で働けるのか?
 
運転技術が有ればタクシードライバーはいけるかな?まあ正直に共産党職員やってました、って言って採用してくる会社ならいいですよね?これだけ人材不足と言われる時代でも共産党専従職員だけは使い道ないんですかねえ?
 
現実的には、まず民商、民医連、生協など比較的潜り込みやすいところに行く。この場合党の監視の目がある。次には、なんとなく個人的縁故関係で職をさがす。ただ、ある程度仕事出来ないと迷惑をかける。そして、時給アルバイト。特別な技能あれば、思い切って前職を話してチャレンジする、くらいかなあ。
あと年齢の問題もある。30代までならまだ受け入れられる可能性もある。40代以上は厳しいですね。
あと、年金(共産党職員の年金制度ってあるんですよね?)が見えてきている人はまあどんなことがあってもいるでしょうね。

まあ共産党で反乱が起きないのはこれが大きな要因なのではないでしょうか。
上司、トップがどんなに無能でも年金は手にしたいでしょうから? 

KM生
民主経営は、党を辞めた(辞めさせられた)人間は雇ってくれません。
党専従は厚生年金ですが、支給権は党機関にあります。

旧日和見主義者
新日和見主義事件のときのことを思い出してみました。あのときは査問と処分は広範にわたりましたが、除名は少なかったのです。しかし、党・民青専従者、党関連大衆組織職員だった者は、すべて権利停止とともに当該組織からパージされ、党が主導権をもっている大衆団体すべてから排除されました(「完全転向」して「返り忠」になった少数は別です)。

幸い、多くがまだ20台から30台前半でしたので、大学在学中もしくは卒業後も大学と関係があった人たちの中には、大学に戻って研究者になった者、司法試験の勉強をして弁護士になった者、中学・高校の教師になった者がかなりの数いました。

しかし、民青の専従などでそういう道が取れないものも多く、そうした人たちは僕が知っている人たちでは、かつて六全協後の公然分派だった「鉄の戦線」の旧構成員やその他かつての被除名者の助けを受けて、共産党系ではない生協などのいろいろな団体の職員になった人たちがいましたし、そういうつてもない人たちは、業界紙記者、養豚業者、焼き鳥屋、弁当屋、ガソリンスタンドなど前歴を問わない仕事に散っていきました。

そのうち多くは、その後もその人なりのかたちで革命運動を続けましたが、行方不明になってしまった人もいます。党にいたときのつながりでおたがいに相互扶助し合いながら生きてきた人たちもいます。


寸劇の虚人
大変貴重な経験談ありがとうございます。
そうなんですよね、皆、そこから生きるしかないんですよね。しかし、すごいなあ!そういう話は初めて耳にしました。
川上徹さんの「査問」の中に、査問を受けていた方がその査問場所から隙を見て逃げ出して、人が乗ってるタクシーを止めて乗せてもらって逃げた、という話があったかと思います。
その場でなんらかの事情を察知して助けてくれたんでしょう。そういう人がいるんですよね。
しかし、若き日に理想の社会の建設を夢見て入った組織、そこからまさかの理不尽な仕打ちを受けて訣別せざるを得なかった、でもそこから本当の人生が始まったのでしょう。
一度しかない人生を共産党と共に、などという呼びかけのなんという軽薄さでしょうか。
貴方の経験された新日和見主義事件の被害者の中には無数のそういう人間的助け合いがあったのでしょうね。
さらには初めて聞く、「鉄の戦線」の被除名者からの救いの手があったという証言。「鉄の戦線」も初めて聞きますし、そこから救援組織的なものが存在した。50年代半ばからだとすると新日和見主義事件が1972年と記憶してますので、20年近く存在していたことになる。
 
会社経営で成功されたような方がいて自分の会社に採用したのでしょうか?いずれにしても、あまり知られた話ではないと思います。50年代から70年代にかけての共産党裏面史、あるいは秘史とも呼べるお話かと思います。
もし、よろしければ「鉄の戦線」のこと、そこから派生した被除名者の救援活動についてもう少しお聞かせいただければ幸いです。 


 
KM生
>鉄の戦線
志田重男派(旧徳田派の大番頭で6全協で宮顕と手打ちした。しかし宮顕から火炎瓶時代の腐敗堕落行為を暴露されて失脚した)の機関紙ですね。対中貿易(当時は日中国交回復前で貿易の日本側主体は友好商社=宮顕毛怪談決裂後は党除名された=だった)関係で資金稼ぎしていたのでしょう。宮顕に対する憎しみは激しく、宮顕に追放された青年たちに同情して救いの手を差伸べたのでしょう。
 

寸劇の虚人@KM生様
ご教示ありがとうございます。
そうですか、志田重雄派ですか。日中貿易での利益を上げてのことだったのですね。でもその方(個人か、組織かわかりませんが…)が、1972年に始まる新日和見主義事件の被害者に救援の手を差し伸べていたのは興味深い話しです。
 
いやあ、こちらの方が人間的な話ですね。困った時には本当に助けてくれる人が現れる、私も一般社会でそのような体験をしています。それだけに、一度しかない人生を共産党と共に!などという呼びかけの嘘臭さを痛感します。
 
鉄の戦線の被除名者の方にせよ、新日和見主義事件の被害者の方にせよ、とても人間的な気持ちを持っていた。そして、今、松竹氏、鈴木氏も人間的にやむに止まれず党に対して意見を言った。そして党は切り捨てた。こうやって共産党はいつも人間的な部分を切り捨ててきたのです。
 
志位にはこういう人間的な部分を見る能力がないのです。こういう人間的な面に対して、(古い政治」を支える人間の行いかのように言う。彼自身が東大から反乱分子摘発の功績で直々に党官僚になったために人間的暖かさに触れることなく党首に指名されたことには同情する部分もあるが、しかし長期にわたり党首を務めてきて、ここに至っても聞く耳を持たない、その責任は重いのである。