長い休みに入った。
休み明けの日は一応決まっているけども、本当にその日に休みが明けるのかどうかはよくわからない。これまでの人生では、そんなことはなかったのである。
休んでいる今、思い出し、読み返すのは大西巨人『神聖喜劇』だった。
書影が重なるのはアレなので・・・
まそれはともかく、 これは神聖喜劇の書評の形をした党員資格停止処分に対する批判だね。
違うとは彼も言わないだろう。このタイミングでこんな内容書いたら、そう見られること事くらいわからないほど紙屋は馬鹿ではない。
書影が重なるのはアレなので・・・
まそれはともかく、 これは神聖喜劇の書評の形をした党員資格停止処分に対する批判だね。
違うとは彼も言わないだろう。このタイミングでこんな内容書いたら、そう見られること事くらいわからないほど紙屋は馬鹿ではない。
ぼくは、今自分の近くにある理不尽に、このシーンを読みながら思いを致す。
もし自分の行為が「ルール違反だ」と非難され、「罰をくらわせるぞ」と振りかざされたとしたら。
ルールの明文、あるいはルールを運用するマニュアルの明文にはどこにも規定されておらず、また、規定されている文言からの類推や拡大の解釈からは導き出されようもなく、それどころか、マニュアルの存在さえもどうやらないらしい中で、「ルールを破ったことを反省しろ」と言われたとしたら、「そんなルールは聞いたことがありません」と言いたくなる。すなわち「知りません」である。しかし耳元で叫び続けられるのは「ルールを破ったことを反省しろ!」「ルールを忘れたのか、お前は!」なのだ。
「知りません」と言うな。「忘れました」と言え。
このシーンを読みながら、ぼくは自分の身近に存する理不尽についてどうしても思い出さざるを得ない。続く東堂の内心は、まさにぼくの心そのものである。
中略
にもかかわらず、自分の見解を捨て、「すべて私が間違っておりました。あなた様のいう通りです。許してください。助けてください」と作文をして嘆願しなければ、罰せられる——そんな馬鹿げた枠組みが、仮にあったして、それにぼくが屈するようなことがあるならば、「何かが、ある重大な何か」が、ぼくのなかで「最終的に崩れ落ち、潰れ滅ぶ」ことは疑いないように思える。
ま、最後には除名か、専従退職か。。。そのあたりに落ち着くんじゃないかな?
罪状は、たぶんこれ。松竹たんに味方した罪。
紙屋が排除されたら、表立った批判者は、ほぼ党内から一掃されるだろう。
そろそろ当blogをやめる基準(ここまで党勢が落ちたら、潰れたのと同じだから更新停止w)を考えときましょうかね?
中略
もしぼくが仮に東堂と同じような状況であったとして、「理不尽な言いがかりかもしれないが、ここは一つ、ルール違反であることを認めしまえ。大したことではなかろう」「嘘も方便だ」と言って、そこで抵抗することを自己嫌悪の感情で片付けてしまえば、やはり同じように「何かが、ある重大な何か」が、ぼくのなかで「最終的に崩れ落ち、潰れ滅ぶ」かもしれない。
見解が異なったものを保留する権利があるとぼくは考える。
ま、最後には除名か、専従退職か。。。そのあたりに落ち着くんじゃないかな?
罪状は、たぶんこれ。松竹たんに味方した罪。
紙屋が排除されたら、表立った批判者は、ほぼ党内から一掃されるだろう。
そろそろ当blogをやめる基準(ここまで党勢が落ちたら、潰れたのと同じだから更新停止w)を考えときましょうかね?
