引用元のblog、松竹事件発生から書かれ始めていたるのだが、どうも精力的に関係者を取材して回っている様子。少なくともこの記事には三人の人に取材している(1人は想像がつくw)


中でも注目なのはここだよね。黒ヘルの穀田襲撃に関しては鈴木たんの証言とN氏の証言に若干の食い違いがあるが、それはたいした問題ではない。問題なのは、京都府委員会のそこそこ歳食っている幹部たちにとってもこれは誰でも知ってるレベルの話だということだ。


また、比較的鈴木氏と穀田氏に世代的に近い、Nさんからも話が聞けた。
 3月15日の穀田恵二氏の定例の会見で、ヘラヘラと薄笑いを浮かべながら会見する姿をYouTubeでみて、激しい憤りを感じたという。

 1960年代後半の立命大学における学園紛争において、鈴木元さんと穀田恵二氏は、鈴木さんが学生党委員会の委員長で穀田氏は学友会の書記長で、名コンビだったんですよ。
 あれは、学生大会に向けて連日泊まり込みをしていたある夜のことです。
 当時、もっとも凶暴な黒ヘルの学生集団が手に手に武器を持ち、防衛で泊まりこんでいた穀田氏に向かってものすごい叫び声を上げながら襲撃してきたんです。
 異常を察知した鈴木さんは、咄嗟の判断で2階の窓から穀田さんを建物の外に逃がした。そのおかげで穀田さんは、間一髪で難を逃れることができた。あの時、鈴木さんの判断が遅れていたら、穀田さんは命を落としていたかもしれない。
 現在の穀田恵二衆議院議員は、いなかったでしょうね。しかも、1993年の初めての衆院選挙の責任者も鈴木さんがやってくれていたはずです。
   その意味で、鈴木元さんは、穀田恵二氏にとって本当に命の恩人のはずなんです。それなのに、うすら笑いを浮かべながら「俺は除名されるのを知ってるよ」みたいな対応でしょ。
 人間性が疑われますよ。共産党はもっと人間味ある集団のはずだったのですけれどね。

 あなたのような若い世代には、あんまりピンとこないかもしれないけれど、僕らにとっちゃ、鈴木元さんと穀田さんは、青春時代の英雄だったんですわ。それがね・・と老眼のメガネをふくふりをしながらポツリと落ちた涙をみて、筆者自身、かける言葉を失った。