そうした状況も踏まえ、党指導部は当初、党内外の世論も視野に慎重対応の姿勢だった。「いきなり松竹氏を処分すれば、『野党共闘』などで共産の主張に共感してくれた支持層が離れ、一般国民の共産党への恐怖、嫌悪感を拡大させる」(若手幹部)ことへの懸念からだ。

松竹本含めて3冊が出たのは1月19日。赤旗に藤田健の批判文書が出たのが1月21日。現実に発生していることは三日と言う短期間で松竹糾弾、除名が決まったと言うことだ。

もちろん本が出ることは年末には予告されていたわけで、その頃に慎重対応は考えていたのかも知れない。もしそうであったとしても、本が出た翌日20日に批判文書を書いて、翌日赤旗に掲載されているわけだから、慎重対応などしていない。逆ギレ対応である。

問題は、当初は慎重対応するつもりだったのが、いつ逆ギレに変わったのか?なぜ逆ギレに変わったのかだ。手だれのライターが書いているのに、しかも上記のようなことを書いているなら当然そこがこの記事も肝になるはずなのに書かれていない。

情報提供者である若手幹部に圧力がかかって書けなくなったのかも知れないが、ここで思い出すのは筆坂問題だ。あれも当初、さしたる問題だと認識されていなかった。しかし、それが急に議員辞職にまで発展したのは、行政調査新聞によれば

これで事は片づくはずだった。午後からは、予定通りの議題が常任幹部会で話し合われた。筆坂氏は、引き続き変わりなく政策分野の責任者として総選挙準備の仕事を分担した。そして、15日に予定されたNHK「日曜討論」出演の準備も他の政策スタッフと共にとりかかったのである。しかし、14日、突然状況が変わった。日共の書記局に「脅迫ファックス」が届いたというのだ。「国会を良くする国会秘書の会」を名乗る人物からのもので、「ある最高幹部国会議員のセクハラは目に余る。厳しい処分がされないなら、社会に告発する」と記されていたという

 「国会に不穏な動きがある」……こんな思いにかられた浜野氏らは、パニックに陥った。そして、地方遊説に出掛けていた市田書記局長を急遽東京に呼び戻し、筆坂氏のテレビ出演を「病気による体調不良」という理由でキャンセルしたのである。この間、「病気理由でテレビ出演をキャンセルしたのだから、自宅に数日間は待機してほしい」との浜野副委員長の要請に応えて、筆坂氏は自宅から外出しなかった。

 筆坂氏の自宅待機中にどんでん返しが起こった。筆坂氏に知らされないまま、6月16日に開催された党常任幹部会で「重大な事態」についての報告がされ、9日の「警告処分」が無効とされた上に「参議院議員辞職、党役員からの罷免」の処分が新たに決定されたのである。「欠席裁判」状況で、こうした処分を断行させたのは党の最高権力者、不破哲三議長であった

筆坂問題は、党を脅迫する者がいて急転直下、処分となった。今回の件も、当初静観して様子を見てから判断するつもりだったが、党に何らかの圧力がかかって急に態度が変わった可能性がある。

もっとも、党を知る人の多くが、あんな本出したら除名になると予想していたわけで、若手幹部の証言は、自分の願望を言っていただけの可能性もある。

現実はどうだったのかは、まだしばらくは判明しないだろう。