田原総一朗による清水丈夫インタビュー前後編・・・すげぇ!
で共産党関係部分

田原 清水さんはもともと日本共産党で活動していました。東大生だった1958年12月、島成郎や香山健一、北小路敏らと一緒に第一次ブント(共産主義者同盟)に参加します。そもそもこの目的は何だったんですか。

清水 日本共産党が、本来進むべき共産主義の道からそれてしまったからです。

田原 60年安保闘争の当時は、共産党と学生の距離がそんなに離れていなかったと思います。清水さんは共産党のどこが気に入らなかった?

清水 自国の政府、帝国主義とちゃんと闘おうとしない。彼らは逃げていました。

田原 共産党には戦う気持ちがない。

清水 まるでない。共産党のもとで運動なんかしていたって、革命なんて絶対成功しないと思ったのです。今も共産党をはじめとする野党は、与党がやることに口先で反対しているだけで、現実的に政治を動かしていないでしょう。彼らは今も昔も本気で闘う気がない。遊戯のようにただ人を集めるだけのカンパニア(※ロシア語で「大衆闘争」という意味)をやっているだけなのです


 
中略

田原 2.1ストはなんで失敗したんですかね。

清水 共産党が裏切ったせいです。彼らには進駐軍と闘う方針がありませんでした。

田原 共産党は進駐軍の味方だもん。

清水 そうですよ。

田原 共産党だけは進駐軍のことを「解放軍」と呼んでいた。

清水 まったくそうです。

田原 ほかのところは全部「進駐軍」とか「占領軍」と呼んでいた。共産党だけは「解放軍」と呼んでいて、徳田球一も野坂参三も進駐軍とは仲が良かったですよね。

清水 あのとき共産党さえ裏切っていなければ、2.1ストは決行できたはずです。労働者階級が団結して、革命運動の中で力をつけて生産手段を自分の手にしっかり握れば、社会経済を回していくことは難しくありません。革命運動といっても、そんなに難しいものではないのです。大きな意味での歴史の必然ですから、絶対に勝てると昔から思ってきました。

言っていること自体は、この頃活動し離党した人たちがの多くが言っていることでしかないが、30代、40代の党幹部は2.1ゼネストなんて言ってもわからんかもw