校閲とはメディアの誤字脱字とか、間違いを見つけて直す仕事のことで新潮社の校閲は特にすごいと作家たちから恐れられているとか。。。 たとえば明治40年10月4日の東京銀座を小説の舞台にしたら、その日の天気から今の銀座和光の位置に何があったとか隣の店はなんという店で何を扱っていたとか、猛烈な突っ込みが入って作家はボコボコにされて書き直しを余儀なくされるとか(^_^;)

 そういう校閲係が「のびしろ」について書いたエッセイだ。

で、内政・外交に行き詰まった安倍自公政権にたいして、野党連合政権に向けた共闘には大きな「のびしろ」があります

というのだが、この路線で二度の参議院選、一度の総選挙したと思うが、全くのびしろが感じられない(笑)のびしろと言うのは、今は小さいかも知れないが将来化ける(大きくなる)可能性を見ることで、たとえばミステリとかだと大沢在昌さんとか、まさにそういう感じで最初出版社から仕事もらってた。

しかし、いい小説書くけど、みんな初版止まりになって売れない。あるファンが「大沢先生の初版本全て持ってます!」と誇らしげに本人の前でしゃべったら「オレの本は初版しかない」とハードボイルド口調で言ったとかw

しかし、売れなくても売れなくても仕事を出す編集者がいて、

でブレイクするに至った。78年デビューから13年経っていた。

日本共産党はまもなく100年を迎える。のびしろを信じた人は三代くらい変わっただろうか?