しんぶん赤旗
今日の潮流
 若くして日本人初の物理学教授となった山川健次郎の人生は波乱に満ちました。幕末に賊軍とされた会津籠城戦を生きのびて米国に留学。懸命に学問に励み、のちに東京帝国大の総長まで上りつめました▼近代日本の幕開け。文明とともに開化したのは、個人の能力や才能でした。それをふたたび閉ざしたのが、国家や軍部による個への弾圧であり、戦争でした。歴史を顧みるとき、ゆるがせにはできない戒めです

こうやって共産党は戦前日本をけなして自分たちの正しさを自慢するわけだが、戦前の日本って転向した共産党員にも、ちゃんと活躍の場を与えたんですよね。当時、共産党に入るような奴は能力があるとわかってましたから。今は無能扱いだけどw

一番有名なのは陸軍が水野成夫の経営力と南喜一の技術力に期待して製紙会社を作らせたことだろう。伊藤律の農業調査は関東軍がやらせたし、岩田英一の溶接学校は卒業生の質の高さから大企業が卒業生の争奪戦をやってたくらいである。

共産党員ではなかったが物理学者の武谷三男なんかは、特高警察に逮捕されたが当時原爆開発に取り組んでいたため、留置場で研究を続けるという特典(笑)が与えられていた。あ、そうそう、陸軍が南に注目したのも獄中研究の成果を見たからでしたね。

こうした例に限らず、戦前戦後を通じて元共産党員で党外に出てから活躍した人は多い。外から見える共産党は魅力的な活動をしていたわけで、だから多くの俊英が入党したわけだが、その能力を共産党は活かしきれず、むしろ弾圧し排除してきた歴史がある。

これは歴史を顧みるとき、ゆるがせにできない共産党の体質問題ですね。