大宰ファンたんの書評
この本を読んで日本の憲法学者、とりわけ東大法学部の憲法講座の関係者(大学教員、内閣法制局職員等)の憲法9条や安保をめぐる学説や理論なるものが、戦後日本の特異な政治的立場や東西冷戦の情勢の中で歴史的に形成されたものであり、決して普遍的でも合理的でもないことがよく分かった。

衝撃的なのは、テレビに出て「安保法制反対」を唱えていた首都大学東京の某(木村草太氏)が、当初は安保法制案を容認していたのに、師匠の長谷部恭男東大教授が反対の論陣を張ると、すかさず露払いに馳せ参じ、「安保法制は憲法違反」と主張する様が暴かれていることだ。きちんとした論理がなく、「さじ加減」でいろいろ変わりうる、欺瞞だらけの憲法学の世界を象徴する出来事だ。

日本は、「表」の憲法(9条)と「裏」の日米安保(在日米軍と自衛隊)のセットで戦後の冷戦時代をサバイバルしてきた。米ソ対決の谷間で、「個別的自衛権」のみが合憲、「集団的自衛権」は違憲という(今から思えば米国に)甘えた無責任な通説が、野党や世論を納得させるという理屈で形成されてきた。それは、本質(「裏」=在日米軍と自衛隊による安全保障)を隠す「イチジクの葉っぱ」(「表」=平和憲法)に過ぎない。一昨年の憲法学者の「安保法制」への異議申し立ては、冷戦後の(特に中国、北朝鮮の軍事的脅威が急激に増す中で)日本の安全保障やその点での国際貢献をどうするかという根本問題を議論せずに、「イチジクの葉っぱ」の形や大きさのみに拘り文句をつけていたわけで、憲法学者の限界、狭量さ、思い上がりを感じる。

結局、安倍政権は「内閣法制局」の理論建てと整合する形に妥協して「安保法制」を成立させたわけだが、冷戦後の安全保障と国際貢献をどうするかという根本問題は残されたままであり、トランプ政権の登場により、今後も日本の政治の焦点なると思われる。

 
出版が2016年の7月ということで、SEALDsが目立ち始めた安保法政反対運動が目立っていた頃に書かれた本のようだ。

以前、松竹伸幸氏の「慰安婦問題を終わらせる」でも少し触れたが、一つのテーマの「思想史」を掘り下げた本を読むと、 論点が整理されると同時に、今の雰囲気に流されることなしに物事を見ることができるようになる。

その意味で、ぼくちんも買うことにしたw