神戸新聞
SEALDs関西解散と言うことで、メンバーの回顧と内田樹の寄稿が載っている。あまりにアホっぽいので批判しておく。

シールズの運動はこれまでのどのような政治組織のものとも「手触り」が違っていた。街頭で語るときも、定型句を避け、スマホの画面をスクロールしながら自分の言葉を自分の口調で読み上げた。政治的に正しい言葉よりも、自分の生活実感に寄り添う言葉を選んだ。「われわれ」ではなく、固有名を持った「私」として語った。

市議の後援会とか参加したことないんでしょうな。市議選なんかだと身近な政策課題をあげないと誰も話聞いてくれないわけで、「私は」なんて腐るほど支持者たちは使ってます。

 彼らは普通に学生として勉強し、バイトをし、友だちと遊び、デートをし、そして政治活動をしていた。どんなときも政治に「のめりこんでいる」という印象を受けたことがない。彼らはふだん通りの自分のままで政治的活動をしていた。何かを犠牲にしなければ達成できないような過重な政治課題を引き受けないというその節度が彼らの言動に独特の「穏やかさ」をもたらしていたと思う

もしその通りなら、まじめにやっていなかっただけのこと。実際は全く違っていて奥田君がどれだけ消耗していたか彼の著書にも書いてある。それにネットでどんだけSEALDsメンバーの発言が穏やかでないとネタにされていたのか知らないのか?いったいSEALDsのどこを見てたんだ?

 シールズの解散はこのまま運動を続ければ、何かを失うことになるという直感から導かれた当然の結論だと思う。その決断もまた「穏やか」だった。彼らの運動は日本の学生運動・市民運動史に大きな足跡を残したと言っていい

 運動を始めた時点で学生達はすでに何かを失っている。時間一つにしても勉強やバイトや睡眠時間など、どこかで無理をしている。牛田君など休学している(もう復学したかな?)と言うではないか。何かを失う直感ではなく、これ以上失いたくないから、最初からこの時期にやめるつもりだったのだ。

それにしても、こんだけモノが見えていないのに文化人できるんだね・・・ラクな世界だなぁw