しんぶん赤旗
 【ハノイ=松本眞志】インドネシアの首都ジャカルタで18、19の両日、1965年の「9・30事件」について議論するフォーラムが開かれました。今回、政府が初めて同事件をテーマとしたフォーラムを後援し代表も参加。ただ、政府代表のルフット調整相(政治・治安)が謝罪を拒否したため、人権団体活動家らはフォーラムをボイコットしました。ロイター通信などが伝えました。

9・30事件 インドネシアで1965年9月30日に発生した軍内部「左派」の将校によるクーデター未遂事件。当時のスハルト少将(68〜98年、大統領)を中心とする陸軍は、インドネシア共産党が事件に関与したとして弾圧。右派系団体を利用してアイジット書記長など指導部をはじめ推計で50万人以上の党員と家族、支持者らを虐殺。党員300万人の同党は壊滅しました 


共産党が 暴力革命方針をとっていたことは、間違いない歴史的事実であり、日本共産党が嘘つきなのは議論の余地はないが、なぜ暴力革命方針を捨てたのかについてはあんまり書かれていない。実は今日の赤旗にある、インドネシアの9・30事件も背景の一つだろう。

日本共産党は同じ共産党なので、もともとソ連共産党や中国共産党と仲はよかった。彼らは暴力革命で政権を奪取したし、日本共産党もそうやるべきだと思っていた。しかし日本共産党は実際には暴力革命ができるほどの力を持ったことは一度も無い。

でもソ連や中国の意向を受けて党は無理をした。それがコミンフォルム批判からの5年間の武装闘争時代だ。1950年から五年にわたった武装闘争時代を勝ち抜いたのはもともと国際派(武装闘争支持)の宮本顕治である。で、宮本自体、戦後の武装闘争路線に嫌気がさしていたこともあり、武装闘争を排除はしないが、基本平和路線に舵を切ろうとしていたわけだ。

これがソ連や中国の共産党は気に入らなかった。そのため日本共産党にあれこれ干渉してきていたが日本共産党は言うことを聞かない・・・そんなときに発生したのがインドネシアの9・30事件である。

宮本顕治がこれを見て、日本も下手したらインドネシアのようにならないかと恐怖した可能性がある。それがソ連、中国共産党との関係断絶&自主独立路線に進む契機になったかどうかは闇の中にしても、大きな影響を与えていても不思議ではない。だから日本共産党が武装闘争路線をとったことがないというのはウソにしても、現在の日本共産党が武装闘争路線を捨てたと見るのは正しい。というか、もはややろうにも使い物にならないじーさんばーさんばかりだしw

そういう歴史的経緯をキチンと説明しないでウソつくから叩かれるのだが、本音のところでは言いたくとも言えなくなっているのかも知れないね。もはや共産党の中堅どころ(50歳代)ですら党史に無知な世代になりつつあるわけで、そんな人たちに真実を教えたら、党は嘘つきだと特に共産党が平和の党だと勘違いして入ってきたような女性議員なんかは怒って辞めてしまう恐れがある。女性議員の比率が共産党は高いだけに、そんなことになったら共産党は崩壊してしまうもんねぇ。