本日の週刊新潮で三ページにわたる日本共産党の記事が掲載されている。内容は代々木の東京都委員会の土地が8億円で売却され、豊島区の北大塚に移転することをネタに、党財政の苦しさを書いてある。

特に某専従の赤旗配達の「時給」は涙なしには読めないが、この記事のウラには、こういうエピソードがある。
 
解説しておくと、件の人物は岩田さんと言って、戦前共産党員だったが逮捕されて釈放されてから溶接の学校を作って大成功した人。この人が終戦直後徳田球一に自分の溶接学校の土地を寄進してそこに作られたのが昔の、そして今も党本部のあるあの土地なのだが、そんなに広かったのか・・・

で、この方、中央委員候補だったかな?まで出世したのだが、宮本顕治の時代になって除名された。権力闘争に勝った宮本顕治が、徳田一派の重要人物として見ていたからだ。

岩田氏が終戦直後の動きが徳田体制の確立に大きく寄与していて、戦前最後の共産党委員長だった宮本顕治の党継承を妨げたのを宮本顕治が恐ろしく恨んでの仕打ちであった。