TAMO2師匠の書評を転載したら、おめーもなんか書けと無言の圧力wを感じたので書く。

以前述べたように、ぼくちん、松竹たんについて編集者として評価はしても、著作者としてはそれほど評価はしていなかった。その理由は以前書いたが、この本は薦めるべきだと思った。

 その理由は、従軍慰安婦本を読みあさっているわけではないが、おそらくこの本ほど客観的な論点整理をしていて、その上でこの問題に関心を持つ読者の感情に寄り添おうとする本は、おそらくないだろうと思うからだ。
 

まず、著者の立ち位置から述べておこう。松竹氏は慰安婦問題解決の理想型を元従軍慰安婦の方々が癒やされることとする。これは、ウヨサヨその他もろもろの主張に見られる、国家のメンツに関わる史実の評価論争(というか足の引っ張り合い)に辟易している人にとって、新鮮な視点である。

ウヨにせよサヨにせよ、イデオロギー論争になると、キホン論破するか、されるかが彼らの関心の中心になるが、そこを最初から外してかかる。うまいねぇwww

で、章立ては

一章:朝日新聞の本当の「罪」とは 

二章:政府声明「河野談話」とは何だったのか 

三章:植民地支配と和解について国際標準から 

補論:妥協と原理の政治について


となっていて、一章と二章はこれまでの問題の経過について書いてある。史実よりも、論争史に踏み込むことでイデオロギー論争したがっている読者は肩すかしを食らう。この「外し方」が、他の従軍慰安婦本には(おそらく)ない、この本の個性である。


そして三章の伏線として、むかしは左翼こそ河野談話を非難し、右翼は支持していたとか、今とは正反対の世論だったことを挙げるなどして、右翼と左翼の一致点を探る材料を提示している。


自分が生きてきた「同時代史」は自分がその時代に生きていたという妙な自信があるのか、自分の知識のなさを自覚してない人が多い。たとえば何かと同情される派遣社員なんか、30年前は正社員からうらやましがられる待遇だったけど、現在のメディアではまず書かれることはない。そういうところまでちゃんと見ているから、二章まで読んだところで、この人は信用できると思う人は多いと思う。


そして迎える三章である。ここて慰安婦問題に関心を持つ読者の感情に本格的に切り込む。たとえば、「他の国でも慰安婦はいたのに、なぜ日本だけ悪者扱いされるのか」みたいな、素人目線の素朴な質問に対する答えがほぼ全て書いてあるといっていいだろう。


素人の疑問に対して、本気になって近現代史や国際法などに当たって調べまくって答えているから、説得力は十分だ。もちろん「なぜ日本だけ」などの疑問を持つ読者の感情にも十分に配慮されているから、いわゆる右翼筋が読んでも反論はそう簡単には出てはこないだろう。


そして四章だ。一章から三章を念頭に、誰もが納得できる解決法はないものの、右翼と左翼が歩み寄れる余地はけっして小さくない。極右、極左は別としても、その他は歩み寄りは可能ではないかということで、特に左翼の側の妥協を求める・・・そんな結論に至るのは、自分が左翼だからだろう。


そして思った。本の著者は自分の強みと弱みをきちんと把握しておきべきだと言われるが、まさしくその見本を見たような気分である。編集者という職業は調べるのが仕事みたいなもので、現役編集者でもある松竹氏は、本を書く時もこうした調べ物関係はやはり強い。


マーケティングセンスも光る。本人は、やむにやまれぬ熱情でもって本を書いておられるのだろうし、意識的に「史実論争外し」を行っているのではないだろう。しかし、読者の感情にとことん寄り添おうとすることで、手垢のついたテーマなのに類書が(おそらく)全くない本に仕上がった。


そして考える。この本は小学館から出ているが、同社の雑誌、SAPIOはどうするのか?SAPIOは右翼雑誌というわけでもないのだろうけど、櫻井よしことか右翼的に見られる人が出てくることが多く、世間的には右翼雑誌的扱いを受けていると思う。

そういう雑誌が、この本をベースに慰安婦特集を組むのかどうか?組めば話題になるだろう。SAPIOの読者層が良識人なら新しい読者を得られる上に良い販売実績も残せると思う。しかし、ちがう読者層なら、逆に読者を失うことになる可能性を除外することは出来ないだろう。そんなリスクを小学館が取るかどうか?

あるいは別の左翼雑誌、たとえば週刊金曜日みたいなメディアは、この本をどう評価するのか?もちろん、池内さおりとか日本共産党もだ。ぼくちんの読後の関心は、そこに移っている。

最後に当blogの立ち位置からして絶対に言わねばならない一言。これくらい読者に寄り添う姿勢が日本共産党にあったら、彼は党本部職員を辞めなかったと思うぞw