プレジデントオンライン
東京管理職ユニオンの書記長、設楽清嗣の学歴論の中で、共産党から除名の経験が語られている。

大学1年のとき、日本共産党に入り、運動にのめり込む。1年後には、党を除名処分となる。岸内閣のもと、日米安全保障条約が締結され、「安保反対」は受け入れられなかった。
設楽さんは、党の諸会議などで痛烈に批判した。
「闘争で負けていながら、総括ができていない! 運動が持続しなかったことをどのように考えているのだ!」
その頃から、“論客”として頭角を現していく。当時をふり返りつつ、大きな声で笑う。
「ずいぶんと生意気なことを言っていたな……。党からは、反党分子というレッテルを貼られ、除名になった


設楽氏は1960年慶応大入学と言うから50年以上も前の話で、今も続く共産党の体質がこんな時代から完成されていたのは多くの人が知るわけだけども、こういう人が共産党系ユニオンのことをどう思っているのか、出会う機会があれば聞いてみたいものである。