どういうわけか、キンピーたんにこの本の書評依頼があったらしく、ここで載せてねということなので掲載する。
 

10月1日に小学館から発売される紙屋氏の新書だが、だいたいの内容は小学館のサイトをご覧いただくとして、私にとっての町内会とは、盆踊りの度に参加した子供に駄菓子を配る人たち(もちろん町会長である地元スーバーのオヤジの儲けとなる)や、いくら質問しても回覧板も活動報告も無く、ましてや収支報告も出さない別の場所の町内会の人たちである。

もちろん真面目にやっているところもあるだろうが、運悪く私は不真面目な町内会しか出会ったことがない。当然、そんな町内会には「ヲラ!○×□…」で終了。

現在、別の場所で商売をしているが、そこでも最初に顔をあわせたキリ、その後は音沙汰なし。当たり前だが、町内会は義務ではない。本には司法判断までは言及されていないが、賃貸契約書に自治会参加の義務を盛り込もうが、そんなものは無効であって、裁判に持ち込んでも家主が負ける。

さて本書では、紙屋氏が“上級機関”から吊るし上げたりと色々あって“ラクな町内会”を創設することになるのだが、町内会(“我々”の意識が届く範囲)は、仰るようにラク(気軽)であるべきだろう。
極端な言い方をすれば、こんな感じ。

 (一)○×の意思決定は、集団的には基本的に採れないが、オモロそうなことがあれば掲示板なんかで勝手に告知して、勝手に激同意したり、氏ね!と騒いだりする。
 (二)もし、そんなことがあればだが、決定されたことは、同意する限りできるだけみんなでワショーイする。祭りだ祭り!
 (三)指導機関、そんなものはない。

おや?これはどこの規約だ?
ま、それはイイとして、人間は関係性の動物であり、その中でもまずは“我々”を意識できる単位であることが重要であって、「諸個人の自由な連合」の基礎として町内会というものは十分に活用できるわけだ。

もちろん今では、隣に住むコンビニ店員より、要領だけで生きてきた会社の後輩より、通勤中に出会う妄想恋人より、自分の所作に反応してくれるディスプレイの向こうの人と繋がっているということもあるが、それはそれで勝手に繋がるのだから放っておけば良い。いや、めいいっぱい繋がれば良い。

問題は“事”が起これば、我々はいつでも土地に縛りつけられる状態に引き戻されるということ。“事”が起こらなくても、その地域の特殊性があったり、共通の利益や脅威が顕在している場合もあるだろう。
もちろん単純に隣の人と楽しくやりたい、ということもある。
そんな問題や要望は結局、現場を抜きにして対処できないのだ。

っで、本書を読んだ感想としては、町内会という“知ってそうで知らない”人が多い、この組織のことを知るためには良いかも?という感じ。でもね、紙屋さん。吊るし上げ云々と書いていますが、共産党の査問はもっと理不尽ですよ?
相手は平気で規約を無視してくるんだから。