【日本共産党の陥った罠−1】
 日本共産党。発足時の名称は「国際共産党日本支部」。ソ連の世界革命戦略に則って、ソ連の金で設立された党であるということは、ここの方々に説明するまでもないでしょう。だから駄目だと言っているのではありません。マルクス主義の革命は世界大で起きなければ維持することは困難なことですし、その意味では「国際共産党日本支部」というあり方は大変正しいと思います。しかし、ソ連は自分たちのやり方で世界で最初の社会主義政権を樹立したがゆえに、自分たちのやり方に過大な自信を持っていました。

 この時代の日本は、言うまでもなく明治維新によって出来た政府がありました。そして、若い日のレーニンが指摘したように、生命力のある若い帝国主義としての生命力がありました。そして若い帝国主義のイデオロギー的基盤には天皇(制)がありました。「天皇制」はマルクス主義者の造語とされ、その使用については色々議論がありますが、小生は言葉として有効だと思いますので、以後使います。明治の維新がどういう恐怖によってなされたかは、皆様に説明する必要はないでしょう。西欧列強への恐怖心からです。そのためには機能不全に陥りつつあった幕府を打倒する必要がありました。そこで見つけられたのが、天皇の下に幕府があるという構造でした。幕府を打倒するには天皇の権威を利用するのが手っ取り早い、と。こういうイデオロギーで明治維新は進んだわけですから、天皇はまさに日本の革命のイデオロギーの源であったわけです。

 勿論、多くの革命の歴史に見るように、革命のイデオロギーは、革命がシステムとして君臨すると反革命のイデオロギーに転化することが多いものです。明治維新の理想は、薩長藩閥を中心とする政府によって利権に取って代わられていきました。また、明治維新を推進したものは、広く国民大衆というわけにはいきませんでした。武士や庄屋、商人以外の大衆が国事に触れるという感覚そのものがなかったとのことです。ただ、天皇の錦の御旗のもとに、固陋な幕府を打倒し、天皇の名の下に団結したからこそ、支那その他のアジアのように、西欧列強の餌食になることは避けられたという思いはあったようです。「裏切られた革命」としての明治維新は西南戦争、自由民権運動を引き起こしましたが、それでも列強の餌食になるよりはマシなことだし、何よりも教育の普及もあり、天皇は君側の奸にも関わらず、エライもんだという思いが庶民にはありました。その状況は昭和の時代はおろか、現在にも続いている庶民感覚だと小生は思います。

 要は、天皇に対する素朴な尊敬が広く日本にはありました。そのことは日本共産党員が痛感していたことだと思います。そんな日本なのに、ソ連はツァーと天皇を同一視し、日本共産党の綱領に君主制廃止=天皇制打倒を記しました。党内には天皇制打倒について色々な考えがあったようですが、決定的なことは、天皇制打倒を受け入れる素地は日本の大衆には殆どなかったということです。大衆と日本共産党の乖離は、ここに刻印されました。
(続)