【革命、そして民主主義−6】

 そういう次第で、労働者階級はインターナショナリズムを取り戻さなくては話になりません。誤解を恐れずに言えば、国際共産党やそれに類するものの再建を果たさなければなりません。世界中の国家に因果を含めて政策を迫るような。ヤクザ用語で言えば、「クンロク入れる」ような組織を。

 おっと。書き忘れていました。グローバリゼーションは、世界中の労働者を競争に巻き込み、これはカール・マルクスが言ったように基本的には低賃金を世界中に押し付けます。それに対するカウンターは、労働運動や社会主義運動となりますが、これが一国だけに突きつけられるならば、資本がそこから逃げ出すだけです。そして以前よりも高失業率や不景気をその国家に齎すだけでしょう。だから、労働運動や社会主義運動は、国家の枠を超えないとどうしようもないのです。

 さて。マルクスの窮乏革命論は、現実によって否定されたように見えます。だが、どのように否定されたかを再度見てみましょう。労働者階級の運動が、ドイツやイギリスにおいて、社会主義運動と結びつき、そして国家はそれを取り込むことによって、それらの運動は結果的に体制内化しました。今、国家による労働者の体制内化は「コスト高要因」として排除する圧力が掛かっています。資本が各種の生産を、コスト高の国家や地域から引き揚げさせます。引き上げられると労働者は失業するので、より厳しい状況になります。かつて「先進国」という形で特権的な地位に就けたこれらの国の労働者は、世界に展開する資本の運動により無力化されました。いくら国家の中で体制内化していて利権化しているとしても、それを資本が避ければ彼らも没落するしかありませんし、現に没落しています。こうして、社会主義者や労働者の体制内化は無力化され、窮乏化が進んでいるのが現状です。

 そして、各種の国家を前提とした闘争は無力化していきます。国家を前提とした民主主義のルールは無力化をさらけ出しています。国家も、各種運動も、資本の運動の前に無力を晒しているように見えます。繰り返しになって恐縮ですが、国家の枠内で資本に対峙しようとするから無力に思えるのです。

 国際連帯。それが有力な答えです。だが、逆方向での対峙の仕方もあります。ローカルなルールを設定し、その中で民主主義を作ることです。例えば、メキシコのラカンドラのジャングルの中で、メキシコ国家とは一線を画して自治をしているサパティスタ。国際資本に包摂された国家からの離脱を目指し、国家の本質である軍事的にも渡り合いながら独立した地域を作っています。勿論、純粋に軍事的なものだけでは国家には勝てませんから、インターネットなどのメディアを駆使して自らの正統性を訴え、世界から多くの支援を得て自らを支えています。だが、この方法も膠着し、国家を変革し、ひいては世界を変革するには至っていません。しかしながら、膠着しているだけでも偉大だと小生は思います。彼らの持久戦がどのように展開するのか、要注目です。


(続)