【革命、そして民主主義−5】
 戦後しばらくは先進国に革命の条件はなかった。ここははっきり書いておきたいと思います。しかし、時代は動きます。嘘とペテンで塗り固めたようなソ連は、チェルノブイリ事故をきっかけに、自らの維持のために変革することを余儀なくされました。ここで登場したのがゴルバチョフです。彼は、情報公開の必要性を痛感し、それを支持・指示しました。それは国家外部の情報の流通をも要求し、ソ連の物質的基礎である計画経済を揺さぶりました。小生思うに、ゴルバチョフは歴史的使命をやり遂げたがゆえに、ソ連は崩壊したのだと思います。ソ連の崩壊は、計画経済の不可能性を証明したことだと小生は考えています。それは当然、多くの社会主義国家が計画経済を捨て、市場経済に身を投じることになりました。それ以前から中国は市場経済を少しずつですが導入していました。世界は一つの市場に向かっていきました。いわゆるグローバリゼーションで、そのイデオロギーはネオリベラリズムと名付けられるべきものだと思います。

 グローバリゼーションで起こっていることで最も注目すべきことは、かつては「貧しい第三世界」「豊かな先進国」と言われた図式が崩壊しつつある、ということです。製造業を中心に、先進技術を含めた産業は発展途上国に大きくシフトしました。こうして、第三世界にも信じられないくらいの金持ちが生まれる一方、職を失った多数の労働者=失業者が先進国に溢れています。かつて社会主義者を体制内化するためにも作られた「福祉国家」は、グローバリズムによって全世界を貫徹する資本の論理により、「コスト高」として批判の対象となりました。福祉=コストというわけです。もし、グローバリズムの批判において、その論理に従っている個別の国家を批判し、その政策を批判すれば、どうなるでしょうか。投資家は逃げ、年金という形で福祉政策を支える株価は下がり、産業が逃げることにより失業者は増大することでしょう。現在、左派が行っている批判はそのようなものです。だから、既成の左翼政党は今、世界中で魅力を失っています。何か行き場がないように見えますね。どう考えるべきでしょうか。

 まず、国家における民主主義の機能は、グローバリズムによって無効化されていることを直視すべきだと思います。かつて人や物資の行き来には大変コストが掛かり——ほんの60年前を想像するだけで十分だと思います——、各国家の枠内で物事を考え、貿易などは「継ぎ足しもの」としても論理=実践的に特に問題はありませんでした。しかし、今は違うのです。そんな時代に、国家に偉そうに「ああしろ、こうしろ」という運動に、何の意味があると言うのでしょうか? 民主主義の機能は、世界大に拡張されなくてはなりません。これがまず、「我々の政治的課題」というわけです。
(続)