【革命、そして民主主義−4】
 毛沢東は、「農村から都市を包囲する」戦略でもって、農村に革命の基盤を作り、ついには中国で共産革命を起こしました。彼は、国家(中華民国)そのものを敵とし、すなわち完全に国家の外部に立ち、その地点から革命を引き起こしました。そんなことが可能だったのは、自立性を保ちやすい農民に依拠したからだと小生は考えます。そして、政治の本質は「敵は殺せ」ですから、その図式に従い、かつて蒋介石が共産党員にやったように、毛沢東は軍事的に敵を殺しながら進撃しました。共産党に従わない地主は、子供も含めて一家丸ごと皆殺しに遭った話を、小生は大学生の時に日本に留学している中国人から聞いたことがあります。毛沢東は「鉄砲から政権が生まれる」と名言を残しています。これまで見たように革命による権力奪取とは、軍事なし、あるいは軍事的担保なしでは不可能です。

 さて。毛沢東の革命が成功したことは、多くの第三世界の民族解放闘争や共産革命を担う人々を勇気づけました。これらの世界の多くは農民が圧倒的に多く、国家の福祉なんかは無縁で、国家が敵と思うのに十分な根拠のある世界でした。一九四〇年代以降、武装した民族闘争、特に共産主義と結びついた民族闘争が世界中に巻き起こります。しかし、世界の革命運動のリーダーを自認するソ連は、先進国革命を重視していました。しかし、当時の先進国には、いわゆる革命の方法が適用できる条件は失われていました。表向きは社会主義への道は多様であると言いながら、実際には機械的に革命運動に図式を当てはめて支配してきたことは、ソ連やコミンテルンの歴史を見ればわかります。(余談ですが日本共産党はその被害者の一つと言えます。)表向きは先進国を帝国主義などと非難しながら、裏では各種取引を行なっていたソ連は、第三世界の革命運動で世界が揺さぶられることを必ずしも良しと考えていなかったと小生は思います。「ステータス・クオ(現状維持)」それが、ソ連の望む社会でした。革命があるにせよ、それは自らの利益に従うべき、と。

 そういう次第で、「資本主義万年危機論」などの愉快な理屈とは別に、条件のない先進国での革命を主眼に置くソ連の、国際共産主義への指導は、奇怪かつ筋の通らないものになり果てました。そんな中で、中国は第三世界への影響力を深めていきます。スターリンの死をきっかけとして起こった中ソ論争は、そういう流れの中で考えるべきですね。また、マニアックなものを(笑)。だが、ここで闘わされた世界革命に関する論争は、貴重なものだと小生は考えます。(小生が「日本共産党(左派)=中国盲従分子(爆)」のシンパだったことを書いておきます。今は訣別しています。)

 今から思えば、ソ連も中国も一理あることを言っていましたが、どちらも機械的に世界中に当てはめ、主導権を握ろう——まさに『「指導」という名の欲望』——とした点で間違っていました。上のような背景から、中国側の言うことのほうが一見筋が通っていると思います。ちなみに、当時の日本はまだ貧しく、激しい武装闘争の記憶も冷めやらない、あるいは宮本顕治支配体制が確立していなかったためか、日本共産党は中国寄りでした。まあ、日本共産党史は既に自主独立であったかのような言い方をしていますが、そこ、笑うべきところですね。苦笑いですが。

 そして、ソ連の主張は、革命の条件のないところに革命を起こそうという点で、無理のあるものであったと思います。
(続)