【革命、そして民主主義−3】
 資本主義的な民主主義国家(ブルジョア民主主義国家)が欲する共通の前提。それは、資本主義の規範を自らのものにし、法律を守って生きることです。圧倒的多数の大衆は、その通り生きています。しかし、現実には様々な矛盾や軋轢がこの国家に生きている人々の間で生じていることはこのサイトに集う人々には説明不要でしょう。この矛盾と向き合い、考えを深めることで、次の時代のあるべき姿を認識する人々——ここでは仮に先覚者と名付けましょう——が出てくることもあるでしょう。しかし、その姿が、共通の前提と矛盾する場合は? 素直に考えれば先覚者を排除しようとするでしょう。しかし、民主主義国家の建前上、法律を守っている人を国家が排除することは出来ません。そこで行われることは、彼らの無力化です。先に挙げたドイツの場合は、体制内化して妥協できることは妥協するが、本質に係わるところでは排除しました。そのありようをレーニンは「ブルジョア民主主義はいちじくの葉に過ぎない」と皮肉りました。だから、そういうものは革命で吹っ飛ばされるべきだ、と。それも一理あります。しかし、先に記したように、ドイツでは右派の社会主義者が主流となり、体制内化が進んだのです。それは結論から言えば革命の放棄であったと言えなくもなく、それは目標としての社会主義・共産主義の放棄であったと言えなくもありません。革命家から見たら、ここにブルジョア民主主義の恐ろしさがあると言えなくもありません。ここだけ見れば、ブルジョア民主主義は革命の敵に見えなくもありません。

 しかし、「ブルジョア」という言葉を外してみると、それは民主主義と革命の関係の一つの可能性に過ぎません。確かに第一次世界大戦の時代よりも複雑なシステムに我々は絡め取られていて、次の時代のあるべき姿を認識、あるいは構想するのは中々大変なことです。どのようにして次を踏み出すかは、世界中の左派が頭を悩ましていることだと思います。さて、民主主義がブルジョア民主主義として、様々な限界——労働者階級の代表はこれ以上はタッチできない限界——があるとはいえ、導入されている先進国の難題をちょっと離れましょう。

 前に労働者階級が成長途上で、農民が多数を占めていたロシアのことを取り上げました。労働者の体制内化が進んでいない国家で、人類初の社会主義革命が起きたということに注目しましょう。その後、社会主義革命に成功した国は、ソ連の圧力によって成立した東欧諸国を別にすると、中国、ベトナム、キューバなど、革命当時は農業国ばかりであることが分かると思います。それぞれに独自性があり、資本主義の蚕食があったとはいえ、総じて農民の自立性が残されていたことに小生は注目します。物語として分かりやすいのは中国です。国際共産党中国支部として始まった中国共産党は、ソ連の「指導」により、当初は西欧の都市型革命を目指しました。しかし、上海蜂起の失敗と、共産主義に不信感を持った国民党の蒋介石の「皆殺し弾圧」とでも名付け得る弾圧により、実質的には都市部に残ることができませんでした。それはすなわち、労働者階級に依拠できないことを意味しました。そして農民に依拠した革命を主張する人間がトップに座ることになりました。毛沢東です。
(続)