【革命、そして民主主義−2】
 脱刀散髪を拒否して帯刀する人は、新しい時代を内面で拒否しているだけでなく、行動で拒否する人です。その行動は、新しい時代の法律によって弾圧されます。ここで少し抽象的なことを書けば、新しい時代の法律を破る人は、新しい時代の法律によって罰せられます。そして、新しい時代の規範に従わない人は、新しい時代の規範に従う人によって疎外されます。民主主義国家は法律と、それを支える強制力——軍隊、警察などの暴力装置が背後にある——によって支えられています。民主主義国家の法律や、法律に限らず規範となるものは、民主主義国家成立以前からの歴史によって育まれて来たものです。マルクスは、資本主義の誕生について「膏血を滴らせて」という表現を用いましたが、民主主義国家もまた、膏血を滴らせて誕生したのです。旧体制の支配者の反抗を打ち砕くための鎮圧や、独立のための戦争、あるいやソビエト=ロシアやあるいは戦後日本の誕生のように対外戦争という形で。イギリスとて、国王の首を刎ねた歴史があるのです。

 そして、民主主義国家が生まれたばかりの時は、古い時代の規範を構成員は抑圧し、新たな時代に適応して生きるようになります。勿論、最初に示したように社会革命が先行し、それによって意識が変わり、最後に政治革命が起こるならばスムーズに歴史は進むことでしょうし、そういう抑圧が必要なことは少ないと思います。だが、現実の社会の変化は少数の先行者と、それに続く者という形を取るようです。前にくどくど述べたロシア革命の場合はボリシェヴィキ中枢〜都市の労働者という形、そして本当に続いたかどうか怪しい農民がいました。新たな規範を貫徹するには古い規範を抑圧しなければならず、そして、極端な場合は、新しい規範に絶対に従わない人を、国外追放するか、この世から追放する必要があるのです。民主主義が規範を必要とするとき、それに従わぬ人に対して場合によっては凄まじい抑圧、弾圧を必要なことなのです。

 歴史家エドワード・ハレット・カーは民主主義は共通の前提を必要とすると(確か『危機の二十年』で)述べました。その前提を共有する気のない人に対しては、弾圧し、抑圧するものです。

 ここまでは民主主義国家成立時と、その後しばらくについてのお話です。言ってみれば昔話に相当するものです。しかし、この膏血を滴らせて生まれた民主主義国家は、未来において、新たな血を欲する可能性があるのです。

 ここで第一次世界大戦前のドイツのことを考えましょう。ドイツは社会主義者を受け入れ、体制内化しましたが、同時に、社会主義者がドイツを社会主義国家に変えることを防いでいました。普通選挙が早くから導入されたドイツは、民主的な国家であったと言えます。その国家で、時には第一党になったドイツ社会主義労働者党でも、ドイツの社会主義化には成功しませんでした。そして、第一次世界大戦の破滅的な状況の中で、左派は政治革命=暴力革命をやろうとし、皇帝の廃位までは成功しましたが、結果的に社会主義革命には成功しませんでした。これは勿論過去の話です。しかし、ここに示された構造は我々の未来の可能性の一つかも知れないのです。
(続)