
世界を語る言葉を求めて
クチコミを見る
某所から面白い本があるとメールが・・・・
辻井喬と宮崎学の対談本、作家として311後、語るべき言葉は何かがテーマだ。311以後「がんばろう日本」みたいなフレーズに代表される「どんな悲惨な現実も劇場のようにみなし、安全地帯から見物する観客」のような言葉は無効化されている。そんな時代に作家は何を語るべきなのか?
2人は、世代が違うこともあって、これまでの人生で接点はなかったようだ。しかし、共通点はある。日本共産党に入党し社会変革を夢見ていたこと・・・
で、当blog的に面白いところを抜粋
辻井
先日共産党に行ってきたんです。彼らは、自分たちが正しいことをしているという自負がある。しかし、選挙では得票数が伸びない。それはなぜなのか、と。
僕は、「こいつは敵だ」と判じた相手への叩きよう、人間業とは思えない袋だたきの仕方を指摘しました。
それで謝ったらどうかと言ったら、前向きの返事はするが、「では古在さんの場合はどうですか?」というと苦虫をかみつぶしたような顔をして、党をやめてから破壊的反党的言動をする奴とは戦うと・・・・明確な敵は叩かないくせに、時と場合によっては敵にも味方にもなる相手の方がセクショナリズムの脅威に映る党体質とか
宮崎
共産党のいやらしさ、つまりセクショナリズムをなんらかの形で体験してしまった人たちの感情は、共産党そのものへの嫌悪感として強く残りますよね。60年代以降、共産党でない、反日共であるということが、左翼の知識人のアイデンティティになっていたところがあります。
辻井
近くにいて敵対せずに論評する立場にいると、共産党はとてもいい党なんです。しかし、中に入っては絶対にいけないという実感は残っています。
だって、カモン!と言われて党員になると、何かしたら川上徹のごとく、サモン!されて、以下省略w
いやはや・・・政治将校氏の過去のコメント
ちなみに不破タソは、若い頃、堤清二氏と一緒に共産党の選挙オルグで池袋の区議会議員選挙の応援に入ってました。その頃に活動家からひろった人が、後の西友ストア社長。不破タソの一人娘もセゾンにコネ入社ですし、西武資本と不破タソはけっこうベッタリなんです。
なわけで辻井タンの不破ちんについての記述は、割と好意的で「最近彼が書くものは良くなってきたよ」と、議長を降りて自由に書けるようになったと言うのに対し、宮崎タンはヒラの党員になって言うならともかく、偉い肩書き付いているんだからと否定的に見ていたりするのが面白かったりする。
ただ、本は共産党にも多くのページが割かれているが、メインテーマは311以後、言葉を紡ぎ出す作家のあるべき姿を模索する討論だからね、その点誤解しないように。
先日共産党に行ってきたんです。彼らは、自分たちが正しいことをしているという自負がある。しかし、選挙では得票数が伸びない。それはなぜなのか、と。
僕は、「こいつは敵だ」と判じた相手への叩きよう、人間業とは思えない袋だたきの仕方を指摘しました。
それで謝ったらどうかと言ったら、前向きの返事はするが、「では古在さんの場合はどうですか?」というと苦虫をかみつぶしたような顔をして、党をやめてから破壊的反党的言動をする奴とは戦うと・・・・明確な敵は叩かないくせに、時と場合によっては敵にも味方にもなる相手の方がセクショナリズムの脅威に映る党体質とか
宮崎
共産党のいやらしさ、つまりセクショナリズムをなんらかの形で体験してしまった人たちの感情は、共産党そのものへの嫌悪感として強く残りますよね。60年代以降、共産党でない、反日共であるということが、左翼の知識人のアイデンティティになっていたところがあります。
辻井
近くにいて敵対せずに論評する立場にいると、共産党はとてもいい党なんです。しかし、中に入っては絶対にいけないという実感は残っています。
だって、カモン!と言われて党員になると、何かしたら川上徹のごとく、サモン!されて、以下省略w
いやはや・・・政治将校氏の過去のコメント
ちなみに不破タソは、若い頃、堤清二氏と一緒に共産党の選挙オルグで池袋の区議会議員選挙の応援に入ってました。その頃に活動家からひろった人が、後の西友ストア社長。不破タソの一人娘もセゾンにコネ入社ですし、西武資本と不破タソはけっこうベッタリなんです。
なわけで辻井タンの不破ちんについての記述は、割と好意的で「最近彼が書くものは良くなってきたよ」と、議長を降りて自由に書けるようになったと言うのに対し、宮崎タンはヒラの党員になって言うならともかく、偉い肩書き付いているんだからと否定的に見ていたりするのが面白かったりする。
ただ、本は共産党にも多くのページが割かれているが、メインテーマは311以後、言葉を紡ぎ出す作家のあるべき姿を模索する討論だからね、その点誤解しないように。