「TPPは安全保障の観点で重要だ。経済と安全保障を別々に論じるべきではない。一体不可分。日本を含む極東アジア情勢を客観的に見るなら、台湾海峡危機など日本の国益に直結する事態があった。中国はその後も軍拡と制空・制海権をめざす動きを強めている。EUはNATOという地域安保スキームが一体化している。BRICS台頭も軍事的圧力増大につながっている。日米関係は、日本だけでなくブルネイ、シンガポールなどの安全保障にも重要と見られている。なぜTPPを急ぐのか。いまスキームづくりをしないと、別のスキームをつくられてしまうからだ。現状で日本の2.7倍のGDPの米国と日本が合体すれば、中国を4:1で凌駕できる。日本が世界の動きを視野に入れて動いたのは、1868年の明治維新と1945年のポツダム宣言受諾だけ。いま、決断の時。日本の国益は、自由貿易体制の維持とシーレーン6000海里の確保であり、南西太平洋やインド洋での米艦隊の支援が不可欠だ」
 
一見もっとものような議論だが、軍事的安全保障関係と経済連携・自由貿易圏を一体的に論じることは極めて乱暴な立論である。「安全保障体制を経済協力体制で裏打ちする」というモデルを最初に打ち立てたのは、今は亡き社会主義大国・ソ連を中心とした東欧諸国のワルシャワ条約機構とCOMECON(経済相互援助会議)である。
 
1991年のソ連邦崩壊と共に消滅したCOMECONは、米国のマーシャル・プランに対抗して創設された1949年以来、ソ連を中心とした外国貿易推進機関としての役割を果たした。「安全保障上の利益」を優先させる立場から、ワルシャワ条約機構の要であるソ連には廉価で東欧諸国の資源を提供したり、逆にソ連製品や資源を高価で東欧諸国が購入したりするようなスキームが形成された。これが悪名高いブレジネフ・ドクトリン=「制限主権論」となり、軍事・経済の”ソ連型“スキームからの離脱や関係希薄化につながるような動きをした国家への”制裁“(1968年のワルシャワ条約機構軍チェコスロバキア侵攻等)を惹起するに至っている。
 
しかし、こうした歪な軍事・経済関係は行き詰まらざるを得ず、1989年の東欧社会主義政権の連続倒壊(ドミノ現象)と最終的なソ連邦崩壊へとつながっていったのだ。崩壊直前期のソ連の国家予算は、50%前後が国防費に充てられるという異常さで、これも国民経済の重大な停滞要因だったのである。同時にこの問題は、”ソ連型“システムを強要された東欧社会主義諸国共通のものだったのだ。
 
ひるがえって、米国とTPPとの関係で見ると、どうであるか。
 
オバマ大統領が提示した2012年度米国予算教書では、2011会計年度の歳入2兆1740億ドルに対して歳出が3兆8190億ドル、財政赤字は1兆6450億ドル(GDP比10.9%)に達する。同年度の国防費は7396億6500万ドル、日本の年間国家予算総額なみで歳入に対する比率は約34%にもなる。「戦時体制国家並み」というべきこの国防費は世界的にみても異常な突出ぶりだ。結果として米国民に対する社会保障や文教施策にしわよせがいき、高失業率、医療難民、社会格差の拡大をもたらしている。こうした傾向は、近年の新自由主義的政策の推進でいっそう深刻化している。
 
TPP基軸の自由貿易・経済圏形成にかける米国のインセンティヴは、こうした国内矛盾解消に向けた自国企業活動圏拡大にある。しかし、これは“米国病”というべき体制的歪みを、我が国を含めた諸外国の社会・経済生活に拡大することになる。これがより深刻な矛盾を生み出すことにつながるであろうことは、確実である。実際、米韓FTAで目のあたりにされているのが、同様な事態なのだ。
 
また、「TPP−日米安保リンク」論者が主張のベースにしている「中国脅威論」も、あまりに一面的である。「日米安保を経済連携面でもより緊密に裏付けて強化」して、中国の”拡張主義“を抑制しようというのだが、一方で日本の対中貿易額は輸出・入共に対米のそれに比べ既に2000年代半ば以降、大幅に上回っている。日本経済の対中貿易依存度はかなり高まっているのに、「対中包囲網」の一環としてTPPを位置付けて参加を進めるなど、対中輸出額が海外輸出総額の20%弱にもなる日本経済の自殺行為に等しい(例=2009年の日本の対中輸出額10兆2356億円で対米同8兆7334億円/対中輸入額11兆4360億円で対米同5兆5124億円―政府統計)。
 
一方、米国の対中輸出額も2008年時点で対日輸出を上回っている(対中714億ドル、対日666億ドル)。「対中包囲網」のTPPで日本を中国経済から切り離し、”漁夫の利“を得ようとの思惑が米国にないともいえないのだ。米国の対中貿易状況だけ見ても、「TPP−日米安保リンク」論者の主張が空疎なことはすぐに判断つくことだ。
 
かつて日米安保を軸とする安全保障体制が形成されたとき、敗戦後の復興に政経両方面で取り組んでいた日本にとって、米国政治と国民経済は手本というべきものだった。特に安定した中流層の勤労者世帯が多数を占める豊かな経済生活は、戦後復興に取り組む日本人が目指してやまないものだった。その意味で、発展段階こそ違え同じ価値観に向けて日米両国の政治と経済運営は歩みを進めていたといえる。
 
ところが、新自由主義政策の波が冷戦終結後に米国を覆い、日本にも「小泉政治」という形で押し寄せてから、日米関係が大きく変化していく予兆を見せていた。あまりに露骨な利益至上主義で日本にさまざまな分野の“門戸開放”をせまる米国の圧力の下で、国民生活を顧みない「構造改革」が続き、雇用など日本の国民生活は短期間のうちに基盤から揺るがされるに至った。このまま、事実上の「米国病」感染推進の新自由主義的政策が推進されれば、半世紀以上にわたり両国で培われた信頼関係が損なわれ、日米同盟の基盤が崩壊しかねない状況だった。
 
こうした亡国というような動きへの反発が2009年の劇的な政権交代をもたらしたことは、間違いない。TPP参加推進をもくろみ、遮二無二進もうとする民主党執行部と官邸は今一度、政権交代で国民に自分たちが何を託されたかに想いをいたすべきだ。
 
いま求められているのは、真の友情に基づいた日米関係を維持し発展させるために日本が何をすべきかである。米国経済の不調、財政状況の深刻さは米国一国にとどまらない国際社会全体の問題である。毎年大量に発行される米国債は中国と日本でその大半を引き受けている。
 
やるべきことは、固有の社会経済制度を米国流に作り替えて「門戸開放」するのではなく、「米国病」というべき深刻な米国財政や経済の不正常かつ深刻な事態を改善する策を米政府に迫り、共に取り組むことだ。「米国病」を感染・拡大するTPPは、自由主義的な経済圏構想の理念に立っても、現状で進めるべき策ではないことを明確にすることこそ、米国の真の友人のなすべきことである。
 
 反対に「米国病」の現状をそのまま受け入れ、日本国内に移しいれる策をとるなら、日米同盟に対する国民の支持は究極的には失われ、良好な両国関係の基礎は崩壊の憂き目を見るのは間違いない。
 
(了)