我らの宮本岳志先生、最近ちょくちょく跳んでくれて助かりまつ。
「水谷長三郎伝」を読んだ感想
特に山宣が右翼の凶刃に倒れた翌日、1929年3月6日衆議院本会場においておこなった「治安維持法緊急勅令」承認案件に対する反対討論というものを興味深く読みました。この本には水長が自ら書いた「裏切り者はだれか」という文章もおさめられており、山宣に比して「裏切り者」と言われてきた水谷氏なりの言い分も、読めばよくわかります。
なぜ水谷氏が日本共産党を敵視するに至ったのかが、当時の時代背景や、戦前のわが党の歴史的な制約からくる弱点とのかかわりで納得することができました。しかし、その後の氏の政治的立場の変遷を見るならば、残念ながらこの時点でのそれなりの言い分にもかかわらず、やはり革命運動を裏切ったのは山宣でなかったことは歴史において決着済みのことだと言わねばなりません。
要は、自分たちにも落ち度はあったと認めながら、悪いのは反共の立場である水谷だと言いたいわけですね。あんまりこの時代のことは詳しくないので歴史に立ち入るのは控えますが、岳志先生も当時の共産党に問題があったのは認めているわけです。
共産党に問題があっても、共産党は絶対に支持しなければならない。そんな考えでも持っていなければ岳志先生の言うことは理解できません。でも、岳志先生がそう思う理由は分かります。
だって、岳志先生、衆参両院で国会議員をやった経験があるのに、今でも質問を自分で作れないようです。
私は衆参両院の議員を経験しましたが、やっぱり衆議院のほうが質問づくりは難しいと痛感しています。
大体の議題は衆議院が先議(先に議論すること)なので、「ぶっつけ本番」なのです。参議院議員時代は、ごくわずかの先議案件(少数の案件は参議院が先議となる)を除けば、すでに一度衆議院で審議され、通過してきたものでした。
ほとんどの案件では衆議院質疑の会議録がすでに出ていますので、それを読めば、どういう問いにはどのような答弁が出るかは、それなりにわかります。また、会議録でふに落ちない個所があれば、そこから質問を始めることもできます。
自分で独自の質疑を作ることこそ代議士の醍醐味だと思いますが、さすがは赤旗がないと演説が不安になる岳志先生、自分が0赤旗の内容を豊かにする先進性を発揮する気概も欲望も全くありません。
「水谷長三郎伝」を読んだ感想
特に山宣が右翼の凶刃に倒れた翌日、1929年3月6日衆議院本会場においておこなった「治安維持法緊急勅令」承認案件に対する反対討論というものを興味深く読みました。この本には水長が自ら書いた「裏切り者はだれか」という文章もおさめられており、山宣に比して「裏切り者」と言われてきた水谷氏なりの言い分も、読めばよくわかります。
なぜ水谷氏が日本共産党を敵視するに至ったのかが、当時の時代背景や、戦前のわが党の歴史的な制約からくる弱点とのかかわりで納得することができました。しかし、その後の氏の政治的立場の変遷を見るならば、残念ながらこの時点でのそれなりの言い分にもかかわらず、やはり革命運動を裏切ったのは山宣でなかったことは歴史において決着済みのことだと言わねばなりません。
要は、自分たちにも落ち度はあったと認めながら、悪いのは反共の立場である水谷だと言いたいわけですね。あんまりこの時代のことは詳しくないので歴史に立ち入るのは控えますが、岳志先生も当時の共産党に問題があったのは認めているわけです。
共産党に問題があっても、共産党は絶対に支持しなければならない。そんな考えでも持っていなければ岳志先生の言うことは理解できません。でも、岳志先生がそう思う理由は分かります。
だって、岳志先生、衆参両院で国会議員をやった経験があるのに、今でも質問を自分で作れないようです。
私は衆参両院の議員を経験しましたが、やっぱり衆議院のほうが質問づくりは難しいと痛感しています。
大体の議題は衆議院が先議(先に議論すること)なので、「ぶっつけ本番」なのです。参議院議員時代は、ごくわずかの先議案件(少数の案件は参議院が先議となる)を除けば、すでに一度衆議院で審議され、通過してきたものでした。
ほとんどの案件では衆議院質疑の会議録がすでに出ていますので、それを読めば、どういう問いにはどのような答弁が出るかは、それなりにわかります。また、会議録でふに落ちない個所があれば、そこから質問を始めることもできます。
自分で独自の質疑を作ることこそ代議士の醍醐味だと思いますが、さすがは赤旗がないと演説が不安になる岳志先生、自分が0赤旗の内容を豊かにする先進性を発揮する気概も欲望も全くありません。