おなじみクニチュウ氏による市田の鉢呂批判の背景。twitterから拾った。

「常軌を逸した暴言で辞任は当然」(市田書記局長)という共産党のドヤ顔声明に落胆した人は多いだろう。何もあなた達まで尻馬に乗らなくても...と。しかし共産党は鉢呂吉雄氏を元から嫌っている。なぜなら北海道内でもまだ自党の勢力が残る小樽後志地区の縄張りを、鉢呂氏の丁寧な訪問活動によりかなり荒らされ、小樽の道議議席を失うなど凋落一方だからだ

鉢呂氏の影響力は、小樽の西隣・余市町で不登校・ひきこもり等青年の支援活動に献身しているA夫妻にも及んだ。A氏(夫)は共産党の余市町議も務めた人。Aさん(妻)は北星学園余市高校の元教諭で、全国から不登校生徒、問題を抱える生徒を同校に集め、独特の教育活動を展開するに貢献大だった。そうAさんは、今は自民党「教育右派」の若頭議員となった「ヤンキー先生」の恩師である。



ヤンキー先生がかつて共産党員だったと私は思わないが、一時「赤旗」紙面で人生相談を担当したり、彼が有名になる過程で各地で行った「ヤンキー先生講演会」の主催団体は「新日本婦人の会(新婦人)」の各地支部が多かった。

そんな経緯もあって、ヤンキー先生はいま「かくれ共産党だと思われたくない」が行動や言動のテコになり、ネトウヨ的言動が行くところまで行っているふしがある。これは、教育学者の藤岡信勝氏にも共通して言える現象。つまり、左から右へ過剰な政治性のみが転移するのだ。

他ならぬ私もかつて共産党員だったので「かくれ日共」と言われることがあるが、いま無党派の左翼だ。転向すること自体は内的動機をしっかり説明できさえするならば、別に恥ずかしいことではないし、1930年代のように特高警察の拷問があるわけでもないから、...思想が変わったいきさつは、政治リテラシーを高めるためにむしろ学生生徒達の教材としてもなかなか使えるはずだと思う(藤岡先生に特に奨めたい)。

ちなみに私は、かつて共産党員でありながら執行部の方針や体質を党内外で批判していたが、2006年春に「今までの党費を返納するから、党に在籍してなかったことにしてくれ」という珍妙な「処分」によって事実上追放された。

脱原発をはじめ福祉や人権、労働に関わる政策で共産党と協調することは大いにありうるけど、市田ドヤ顔声明にみられるような硬直体質からは、今後も続々とネトウヨの親分格が生まれ来るであろう。80年ほど前、硬直したドイツ共産党からナチへの鞍替えが生じたように。