けろりん氏のコメント

KM生様。その時の相手(元東京土建の書記で次回参院選?向けの候補者だった)との会話では結構な問題児といった扱いだったと記憶をしています。(笑)何であんな奴が候補者になるんだ?それこそミヤケンの身内か何かの強力なバックでもあるのかな?といった内容。私自身は、たけし先生の武勇伝は後々このブログから知りましたので、その当時は何だい共産党にも最近じゃ、そんな事例があるのか?という程度の受け止め方をしておりました。(笑) 思えば14〜15年前の会話ですが、その時点で党内では、勇名轟くたけし先生だったのでしょうね。なんともはや。

それはたぶん、こういうことだったと思われます。
たけし先生は民青時代、「青年文化コンクール」というやつで宮本顕治の「敗北の文学」に関する評論を書いて入選しました。これが、まだ議長職にあったミヤケンを多いに喜ばせたのでしょう。本人も喜んで文芸評論家を名乗りました。

ミヤケンは自分が気に入ると抜擢するクセがあって、息子の家庭教師だった志位和夫や、愛人だった吉川春子などを引上げています。同じようにたけし先生も引上げられたのでしょう。

1993年にたけし先生は社会科学研究所の非常勤研究員に抜擢され、95年には参議院の候補者になります。参議院議員に当選した1998年には、ミヤケンは引退して民医連代々木病院で余生を過ごしていたのですが、議員になってしまえばよほどの問題がない限り降格にはならない。

実は議員在任中もよく問題は起こしていましたが、時の権力者のヨイショが露骨で下手だったことが幸いしたのでしょう。不破はきっと「こんな馬鹿は自分の地位を脅かさない」と考えてそのまま議院をやらせたのだと思いまつ。