元首相森喜朗のブログ

田中角栄の思い出話だが、ここ注目

永年にわたり、日本教職員組合はストライキばかりやっていて、学校は荒廃していました。われわれは日教組対策を考えた結果、いっそ教職員の給料を上げれば どうか、という発想に至ったのです。彼らは給与改善、待遇改善を旗印にし、実際には例えば安保反対の運動をやっていたわけだから、その裏をかいてやろうと したのです。

ところが社共はもちろんですが自民党内から猛反発を受け、「どうして日教組にカネをやるのか? 西岡や森はバカじゃないか」と全然、相手にされませんでし た。「関東軍」とさえいわれ、退路を断たれました。どうにもならなくなったわたしたちは、思い切って院内を歩いておられた角さんをつかまえ、「こういう法 案を出したいのだが、党の政調会も総務会もウンと言わない。総理、何とか考えてください」と直談判したのです。忘れはしない、衆院の議員食堂での出来事で した。

角さんは、さすがに勘がよかった。「きみ、これは日教組対策だろ? 面白い! やろう」と、即断即決してくれました。そして「い くらぐらいの引き上げを考えているのか?」と聞くので、控えめに「だいたい2割から3割です」と答えると、「なにっ、その程度か? 50%だ、50%引き 上げろ!」と、願ってもない反応が返ってきました。


こういうことができたのは、経済情勢がよかった時期な点で割り引いて考えなきゃならない。しかし、田中角栄の戦略眼が確かなのは誰が見ても明らかだろう。もちろん、教育界の地位向上にも大きな役割を果たした。

この頃の先生は給料安くてデモシカ先生(先生でもするか、先生しかなれない)人の職業だった。そうした先生に対する目が変わったからね。もちろんよい事ばかりでもなかったが、そこまで田中角栄のせいにはできない。一割ぐらいは武田鉄矢の・・いや何でもないw

何れにせよ、自民党が長期にわたって政権を維持できた理由のひとつは、社会党、共産党より何枚も政治的に上手だった事がわかる。