城繁幸公式サイト
上記サイトに、我らの宮本たけし先生が取り上げられますた!
ところで、先日、就活デモ実行委員会の参院での申し入れを見に行った際のこと。
一生懸命話す学生とは逆に、話からなんの熱も意思も感じられない政治家が多かった
のが気になった。
たとえば、
社民:福島氏「派遣法改正と若者の就労支援を頑張っていきたいと思います」
共産:宮本氏「大企業が採用数減らしたのが悪い。追加採用を申し入れたいと思います」
↑これほど、“身体性”の感じられない言葉の羅列も珍しい。
とりあえず見栄えがよく、波風を立てないような言葉の羅列だけでは、誰も何も動かせない。小説に身体性が必要かどうかはともかく、政党がそれを持たない場合、食い詰めて泡まつ化するのは事実のようだ。
苦役列車
著者:西村 賢太
新潮社(2011-01-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
趣旨はこの本の書評で
読んでて清々しくなるくらいのダメ人間だ。
同時に、読んでて作者の顔はもちろん、息遣いや体臭まで想像できそうな気が
したのは、きっと僕自身の中にも同じ部分があるからだろう。
なんてくだりとともに読めば、なかなか趣深いと言えるだろう。
追記・たけし先生が数日前に、文芸評論をアップしていたのをハケーン
上記サイトに、我らの宮本たけし先生が取り上げられますた!
ところで、先日、就活デモ実行委員会の参院での申し入れを見に行った際のこと。
一生懸命話す学生とは逆に、話からなんの熱も意思も感じられない政治家が多かった
のが気になった。
たとえば、
社民:福島氏「派遣法改正と若者の就労支援を頑張っていきたいと思います」
共産:宮本氏「大企業が採用数減らしたのが悪い。追加採用を申し入れたいと思います」
↑これほど、“身体性”の感じられない言葉の羅列も珍しい。
とりあえず見栄えがよく、波風を立てないような言葉の羅列だけでは、誰も何も動かせない。小説に身体性が必要かどうかはともかく、政党がそれを持たない場合、食い詰めて泡まつ化するのは事実のようだ。

著者:西村 賢太
新潮社(2011-01-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
趣旨はこの本の書評で
読んでて清々しくなるくらいのダメ人間だ。
同時に、読んでて作者の顔はもちろん、息遣いや体臭まで想像できそうな気が
したのは、きっと僕自身の中にも同じ部分があるからだろう。
なんてくだりとともに読めば、なかなか趣深いと言えるだろう。
追記・たけし先生が数日前に、文芸評論をアップしていたのをハケーン
二人の作家の芥川賞受賞について触れているのだが、
少なくとも私には『きことわ』の別荘暮らしや主人公がみる「夢」よりは、『苦役列車』の三畳間の暮らしやコップ酒のほうに、自分の育った岸和田の空気が繋がっているように思いました。ただ問題は、せっかくリアリティも「人間的前進の芽」もありながら、その先へと進めないことです。
中略
最後は日下部とも別れ、職場で大喧嘩をして仕事も辞める羽目になります。人間はそう簡単に変われるものではありません。しかし「最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず…確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった」と結びつつも、その間に「その頃知った私小説家、藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた」という言葉が挟まれることで、次の前進への新たな予感を感じさせます。
「人間的前進の芽」なるものがないと言いながら、最後には「前進の新たな予感」なんて言う文章の分かりにくさはともかくとして、たけし先生の文芸評論はいつも進歩とか前進とか、そういう面でしか評価しないところがあります。
城繁幸氏は、人によって好き嫌いはあれど、仕事が出来るタイプの人なのは誰しも認めるところでしょう。そういう人が、この作品を読んで自分の中にあるダメさと向き合っている。
対するたけし先生は、自分も貧乏だったが今は違うと言いたげな上から目線。確かに、人間はそう簡単に変われるものではなさそうです。
少なくとも私には『きことわ』の別荘暮らしや主人公がみる「夢」よりは、『苦役列車』の三畳間の暮らしやコップ酒のほうに、自分の育った岸和田の空気が繋がっているように思いました。ただ問題は、せっかくリアリティも「人間的前進の芽」もありながら、その先へと進めないことです。
中略
最後は日下部とも別れ、職場で大喧嘩をして仕事も辞める羽目になります。人間はそう簡単に変われるものではありません。しかし「最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず…確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった」と結びつつも、その間に「その頃知った私小説家、藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた」という言葉が挟まれることで、次の前進への新たな予感を感じさせます。
「人間的前進の芽」なるものがないと言いながら、最後には「前進の新たな予感」なんて言う文章の分かりにくさはともかくとして、たけし先生の文芸評論はいつも進歩とか前進とか、そういう面でしか評価しないところがあります。
城繁幸氏は、人によって好き嫌いはあれど、仕事が出来るタイプの人なのは誰しも認めるところでしょう。そういう人が、この作品を読んで自分の中にあるダメさと向き合っている。
対するたけし先生は、自分も貧乏だったが今は違うと言いたげな上から目線。確かに、人間はそう簡単に変われるものではなさそうです。