昨日、元共産党員の方からメールあり。こちらでキンピー氏が述べている2009/7/12のコメント
本来共産党はそのような組織ではありません。
を読んで、うーんと唸られたとか。共産党が経済成長によらなくとも持続可能な共生社会の実現に立ち上がらないのはなぜか?という質問の答えである。
マスコミやリベラルを支持する人たちは、今の共産党を社会民主主義的な政党だと勘違いしている人が多いのではないか?そしてその勘違いが多くの左翼ブロガーの主張を痛いものにしているとお考えだ。
まぁそうだろうなと思いつつ本日新聞記者の方と話していて「理解されない職場の状況」の話題で妙に盛り上がったw
言うまでもないが新聞記者は多忙な仕事である。朝出ていったままその日のうちに帰ってこれないことも多い。でもって配偶者が多忙を理解できなくて、浮気しているんじゃないかとか、夫、あるいは妻としてどうよ?ということで、離婚率が高いそうな。
ぼくちんの以前の職場も多忙で知られていて、同じような状況だったんで「おお、同志よw!」というわけ。これって、上記勘違いと同じだと思うのだ。
使い古された言葉だけど、人は自分の経験の範囲、あるいは器量の範囲からものを見る。すると、その範囲から外れたものを見る時、正確な評価ができない。たとえば死刑執行を日本の刑務所が一般公開するなんて言ったら、左な人たち(右もか?)は青くなって反対するだろう。
しかし死刑執行の公開など昔にはよくあって、かなりの集客力のある見せ物だった。死刑執行が見せ物だった時代に生きた人から見れば、現代の日本で死刑の公開がされないなんてなんで?あんな面白い見せ物はないのに・・・てなもんだろう。
多くの左派の思考の範疇には、暴力革命と言う文字はない。自分たちの経験や器量の範囲を超えているからだ。これに対し「敵の出方論」に代表される共産党の論理は、暴力革命も思考の範疇に入っている。だから「日本共産党」の名前に固執するのだ。
しかし、現代の日本において暴力革命など起こりようがないから、日本共産党も社民的な政策提案をするしかなくなっている。すると左派の人たちは日本共産党を仲間と勘違いする。
日本共産党に仲間と思って近づき、一緒に選挙を戦おうとして裏切られるパターンが昨今の左翼共闘で目立つのは、そうした勘違いにある。
しかも厄介なことに党の大衆化が進んでいるので、当の日本共産党員でさえ最近は共産主義について知らない人が多い。まだ少しは共産主義に対する関心が残っている人でも、不破経由でしかマルクスを読まなくなってきているから、ますます考え方が共産主義から遊離する。残しているのは民主集中制など暴力革命を前提とした体質だけである。
そんなことをつらつら考えていると、上記メールを下さった元党員の方のこのフレーズが、やたら説得力を持つ。
共産党が社会民主主義的な政党に変わるということと、共産党が消滅することは同じこと
党改革の努力は、徒労かも知れない。
本来共産党はそのような組織ではありません。
を読んで、うーんと唸られたとか。共産党が経済成長によらなくとも持続可能な共生社会の実現に立ち上がらないのはなぜか?という質問の答えである。
マスコミやリベラルを支持する人たちは、今の共産党を社会民主主義的な政党だと勘違いしている人が多いのではないか?そしてその勘違いが多くの左翼ブロガーの主張を痛いものにしているとお考えだ。
まぁそうだろうなと思いつつ本日新聞記者の方と話していて「理解されない職場の状況」の話題で妙に盛り上がったw
言うまでもないが新聞記者は多忙な仕事である。朝出ていったままその日のうちに帰ってこれないことも多い。でもって配偶者が多忙を理解できなくて、浮気しているんじゃないかとか、夫、あるいは妻としてどうよ?ということで、離婚率が高いそうな。
ぼくちんの以前の職場も多忙で知られていて、同じような状況だったんで「おお、同志よw!」というわけ。これって、上記勘違いと同じだと思うのだ。
使い古された言葉だけど、人は自分の経験の範囲、あるいは器量の範囲からものを見る。すると、その範囲から外れたものを見る時、正確な評価ができない。たとえば死刑執行を日本の刑務所が一般公開するなんて言ったら、左な人たち(右もか?)は青くなって反対するだろう。
しかし死刑執行の公開など昔にはよくあって、かなりの集客力のある見せ物だった。死刑執行が見せ物だった時代に生きた人から見れば、現代の日本で死刑の公開がされないなんてなんで?あんな面白い見せ物はないのに・・・てなもんだろう。
多くの左派の思考の範疇には、暴力革命と言う文字はない。自分たちの経験や器量の範囲を超えているからだ。これに対し「敵の出方論」に代表される共産党の論理は、暴力革命も思考の範疇に入っている。だから「日本共産党」の名前に固執するのだ。
しかし、現代の日本において暴力革命など起こりようがないから、日本共産党も社民的な政策提案をするしかなくなっている。すると左派の人たちは日本共産党を仲間と勘違いする。
日本共産党に仲間と思って近づき、一緒に選挙を戦おうとして裏切られるパターンが昨今の左翼共闘で目立つのは、そうした勘違いにある。
しかも厄介なことに党の大衆化が進んでいるので、当の日本共産党員でさえ最近は共産主義について知らない人が多い。まだ少しは共産主義に対する関心が残っている人でも、不破経由でしかマルクスを読まなくなってきているから、ますます考え方が共産主義から遊離する。残しているのは民主集中制など暴力革命を前提とした体質だけである。
そんなことをつらつら考えていると、上記メールを下さった元党員の方のこのフレーズが、やたら説得力を持つ。
共産党が社会民主主義的な政党に変わるということと、共産党が消滅することは同じこと
党改革の努力は、徒労かも知れない。