「米国からの便り」拳志郎くんとこにいっぱいトラックバックを送っている「たかしズム」というブログがある。

「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」を語るための、たかしのブログ


というタイトルを見て、ああ、拳志郎タンと同類か・・・暇だったら相手にしてもいいな程度で注意しては見ていなかったのだが、latter_autumnタンが暴れているので見に来ないかと、なんとコメントをいただいた。

小沢関連のエントリで、<民主党政権についての考察>から<latter_autumnというパラノイア>まで読んだが、まあまあいいたいことはわかる。個人的には同意できないこともあるが、思想の違いの範囲内だろう。拳志郎のおかげで、見る目が多少曇っていたようだw

わからないのは、二点である。
文章を読めばそれなりに良識もありそうに見えるのに、何故「米国から便り」拳志郎のような頭も悪ければ人種差別意識丸出しの馬鹿と仲よくしているのか?

latter_autumnタンは、間違いなく左翼で、左翼の汚い一面をある意味代表するキャラである。それを

この方の精神の根底には間違いなく「右翼思想」が流れていると、私は「確信」致しております。

というのは、日本共産党の無謬性を確信する連中と同様のものを感じる。言い換えると、政治の世界に入っていくということは、イコール悪を為すことであり、自民だろうが公明だろうが民主だろうが共産であろうが例外にはなりえないという、自分の悪を自覚する態度に欠けることだ。なぜだろう?

そうした自分の中の悪に対峙する自覚があるなら、たとえ左翼であっても尊敬できる右翼はいるだろうし、潰したい左翼も出てくるだろう。自分は悪である。しかしこんな程度の低い悪と一緒にされてはかなわないと・・・それが悪の美学だ。

そうした思想的態度が、右翼から見たら左翼に見え、左翼から見たら右翼に見え、かといって中道とは思えないという、立ち位置がどこにあるのかわからない当blogの特徴になっている。

たかしタンには、できるものなら右翼を見るのと同様の視点で左翼も見てもらいたいと思う。ということで、トラックバックを打っておく。