こちらで、ぼくちんのエントリに関して、議論が行われている。
問題となっているのは、私の揶揄が「為にする批判」ではないかということ違和感をもたれているからなのだけど、これに関連して思うのが、教育費についてだ。

「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」が橋下知事と懇談したときのやりとり、左翼界隈では許せないという方も多い。誰にも勉強する権利があるからだ。

しかし、件の高校生だけでなく、多くの高校生にも言えることだし、かつての自分もそうではなかったかと自省しながら言うのだけど、彼らは本当に勉強したいのか?という疑問をぼくちんは拭いきれない。勉強したのではなく、学歴が欲しいだけなんじゃないかと。

かく言うぼくちん、親が少しは偉かったこともあって、自宅から私大、あるいは国公立下宿なら選択できた。東京で下宿・私大通いなど不可能だった。ましてや私立の医学部など経済的に最初から無理。

そんな中でも大学に行こうとしたのは、はっきり言って学歴です。別に将来大学卒の経歴がないとできない仕事に就こうなんて思ってもいなかったけど、とりあえず邪魔になるもんじゃないしとw

本当に勉強がしたいなら、高校に行くくらいのことなら間違いなく公立高校くらいは入れる。仮に公立の学費が払えないほど家が困窮していても、高校向け参考書が買える一万円〜二万円程度の金があれば高校の勉強くらいできます。それ以上のことを勉強したければ、図書館に行って専門書を借りてくることもできます。実際、社会人になってからぼくちん、ある種の専門家として世間に認知されていますが、その知識は全てそのようにして得ています(左翼オチャー「ぶさよでいっく」じゃなくてw)

高校程度の知識、いや大学でも実習が必要な医学部とかは別として、たいがいの教育は本にアクセスできさえすれば、できるはずです。

そのような立場に立って言うならば、問題は、学歴を得るために学校に行きたい人たちに、学校という名の施設を必ず用意する必要があるのかと言うことを問題にすべきではないか。

いわゆる学歴は、最低限この程度の知的能力があると世間が認める「資格」だと私は認識しています。別に高校に行かなければ得られない知識があるわけじゃない。ならば高校卒業程度の知的能力があると認められる試験をして合格すればそれでOKとすれば、それでいいんじゃないかと。

もちろん、現在でも高校に行けなかった人たちに対する高校卒業程度認定試験があるのは知っています。しかし、だからそれでいいと思っているわけではありません。

高校に行った人たちでも、この認定試験を受けて合格しないと卒業できないようにする。すると、少なくとも無理して高校に行く必要もなく、勉強しておれば高卒同様の知的能力があると認められるようなる。同時に、高校に行っていても、この試験に落ちたら高卒とは認められなくなる。

そんなしくみを整備すれば、教育費をめぐる議論は、橋下知事VS「大阪の高校生に笑顔を下さいの会」より実りの多いものになるのではないかと思った次第。

ま、もしこういうの実現したら、勉強ができる者ほど高校に行かなくなるような気もしないでもないw