クニチュウの当別レポートが来たので、公開。
このクニチュウ(国忠崇史)という方は、日本共産党系の日本労協連の不祥事を告発しようとして不当解雇にあった方で、労協連と対抗するために日本共産党に入ったものの相手にされず放っておかれたが、士別の党組織から請われて士別市議選に出ることになると、突如日本共産党中央委員会は「党籍がありません」としてはしごを外したという目にあった方でつ。詳しくは当blog右横に表示されているCategoriesの「2006士別市議選」を参照

7月21(町長選告示日),22の両日、当別町をまわって感じたこと

【当別の特徴】

北海道には珍しく、街路の入り組んだ旧市街地があり、碁盤のように「条丁目」に整然と区画整理された他のマチと異質である。

当別は1870年代、伊達藩士によって開拓された。これは道南の伊達市(道民の多くは「伊達紋別」と呼ぶ)と同じである。伊達藩がつくる街は外敵の侵入を防ぐために複雑な構造をもった。


大都市・札幌と隣接している。このことは当別のベッドタウン化を促し、町政に関心は薄いが町民税は給与天引により納めるという多数の新住民を生み出した。旧来の当別町支配層(?)が温存され、大きくなる財政規模と利権とを仲間ウチで分配し合う寡頭支配が行われている。

私が思うにこの様な事態はベッドタウンで起こりやすく、当ブログ読者には説明するまでもない東京都狛江市(前市長のバカラ賭博と失踪)や、石川県野々市町(県都・金沢市に隣接、かつて大規模な選挙買収事件があった)で起こった過程に類似して見える。


町内北部に建設中の「当別ダム」をはじめ、大型土建プロジェクト期成へ向けた標語類はやたら多いし、「土地改良区」の事務所がメインストリートにあるなど、イマドキやたらと土建系が前面に出過ぎである。他方で町営「東町団地」など老朽化したまま放置された住宅があり、町立保育所・幼稚園なども(太美保育園を除き)遊具がさびていたりと、いわゆる民生に関しては立ち後れた印象が否めない。

(私立保育園長兼経営者として言わせてもらえば、あんなオンボロ施設をいざ民間委託されても、民間事業者にしたら暖房費が心配で受託したくない。)


【渋谷としかず・立候補の波紋】
私は旅人に偽装し、地図を片手にJR学園都市線・石狩当別駅周辺の旧市街を散策しつつアチコチで住民に接触してみたが、観光客など皆無のマチゆえすぐに素性がバレ(笑)、渋谷陣営応援でヨソから来ていると告白せざるを得なくなった。しかしおおむね、応対した商店主や老人には歓迎してもらえ、話を聞かせてもらうことができた。

ある女性は、このマチの寡頭支配を「140年間変わらない」と表現していた。確かに、伊達藩の殿様の末裔がちょっと前まで町長だったり、
ほかにも現役の顔役の姓をとった「○○会館」だのが異様に存在感を放っている。

「伊達記念館」「伊達別館」という文化遺産も旧市街にあり見学自由・無料となっているのだが実際は伊達家の誰かを呼び出して開錠してもらわないと入れないなど、観光事業もヤル気がない。ただこれは寡頭支配のなかの分裂が影響しているという説も、町民から聞いた。つまり、保守層・旧住民層も以下の二者に分裂しているのだ。

A= 伊達氏をはじめとする「正統開拓民末裔」
B= 泉亭俊彦町長とそのファミリー土建族

Aのなかの特に危機感が強い一部分に渋谷支持の波紋がおこり、勝手連へとつながってきている。渋谷陣営は情報戦において、このA勢力を完全に味方につける必要がある。

【当別復興・クニチュウの提案】
JR石狩当別駅を北端、当別郵便局を西端、阿蘇公園を南限とする半径500mのエリアには、大きな可能性を見た。このエリアを縦貫する「パンケチュウベシナイ川」がポイントである。

いまは両岸を無機質なフェンスで囲われており、水草が伸び放題のこのドブ川は、親水空間へと容易にリフォームできるだろう。

現在でも端緒的ではあるが、河岸にベンチが設置されたり商店街後継者の若者がカフェを開いたりしている(残念ながら繁盛していない)。

ソウルの清渓川(チョンゲチョン)を復興した李明博・ソウル市長(現大統領)に見るまでもなく、町長に誰がなろうと早いモノ勝ちでさっさと整備することである。

そうすれば曲折はあるだろうが、にぎわいが生まれるまでは一気呵成である。なぜなら今でもこの川の西岸はかなりくたびれた商店街であり、そのことがかえってアンティークな味わいを生むし、実際にやや骨董的な店やアトリエが集まるだろう。

対して東岸には上述の伊達記念館・別館もあり、一種の風致地区である。碁盤の目市街に慣れた札幌市民や道民には、東岸の迷路のような町並みは新鮮であろう。また、タイミングがよいことに(?)同工異曲のガラス工芸だの裕次郎だのから一歩も出られないでいる観光地・小樽には、多くの人がちょうど飽きを感じているところだ。

さらに幸いなことに、当別の中山間地には絵描きや彫刻家、陶芸家などが多数、アトリエを構えている。旧市街地の美化に関しては彼らからどんどんアイデアを借りられるだろう。

以上のメリットを勘案して、当別旧市街は札幌からの日帰り観光地ないしデートスポットとして最適であると判断した。まさに「小江戸」と称せらる埼玉県川越市のように変貌できる潜在力があるのだ。

「観光地となるだけではつまらない」と思う、当別町民のアナタへ。

私の提案はもう一つ。
「阿蘇公園・少年野球場」の改修である。いまは芝も、内野の土も正直貧相である。かといって若葉球場はマチから遠すぎる。
阿蘇公園野球場を広くし、スタンドもつける(2,000〜5,000人収容)。
ここに「北海道日本ハムファイターズ(二軍)」を呼ぶ。

これでどうだ。当別町民にもファイターズファンは多いだろうが、札幌ドームまで行かなくてもわがマチのステキな野球場で見る。しかも、当別駅からは親水空間と味わいある商店街を通ってアクセス。

もしそうなったら、よそから観戦にくるファンにも「当別はいいよー。」と自慢できるでないべか?私も、相手が千葉ロッテなら当然観戦に行く(笑)。

と冗談はともかく、まちおこしの夢はふくらむ。
いっそ私が町長選に出ればよかったか(自爆)。