志位委員長七中総演説をきいて
真の楽観主義とはなにか
「日本は、アメリカのいいなり」「国民が主人公」「全支部、全党員が、後援会員とともに立ち上がれば、勝てない選挙はない」「日本共産党がのびれば政治は必ず変わる――そのことは実績で裏付けられている」…
二十七日の七中総演説で臆面(おくめん)もなく「楽観論」をふりまく志位委員長の姿を見ていて、ある既視感に襲われました。
「美名」の末路は
以前から志位和夫委員長も同じ壇上から「たしかな野党」「綱領と響きあう」などとと叫び、支持者が増えずに苦しむ党員にたいし、バラ色の未来を描きました。
しかし、「美名」のスローガンの末路は哀れでした。志位氏は、自らの演説や蟹工船ブームと言う党拡大の絶好の機会を迎えても、党費を払ってくれる党員割合は増えず、しんぶん赤旗が減紙する状況は止められなかったのです。
今回、志位委員長は、「自民党政治のゆきづまり」と言及しました。いわく、「こんなにたたかいやすい選挙はない」と。しかし、そこには、なぜ党員が未曽有の不安を抱くにいたったかの認識はまったく示されませんでした。まるで不安が自然現象で生まれたかのようです。そこから出された対策に、まったく具体性がないのは当然でした。
多くの党員がモノのように使いまわされ、没収されるためのカネまで奪われる日本共産党。戦争と復興の時代を必死に生き抜いたお年寄りが、七十五歳の年齢を重ねていても、党から「拡大」を求められ、新聞配達を強いられる日本共産党。不破にいわれるまま、党員をふみにじり無駄金を使い、党の弱体化に加担する志位共産党。この深刻な現実に正面から向き合う姿勢があれば、安易な楽観主義など生まれようがありません。
不破・志位路線がつくりだした「負けても責任は取らない」路線による連敗にあえぐ党員が、その責任にまるで人ごとのような演説を聞いて何を感じるでしょう。志位委員長は、そのことに対する最低限の想像力さえ持ち合わせていないのではないか。そう思わざるを得ません。
委員長が委員長なら、それを取り巻く幹部も幹部でした。志位委員長の七中総の演説に対し、会場からは随所で盛んな拍手と歓声が起こりました。
自らの無能に対する自覚も反省もなく開き直る。その姿勢が党全体を覆っていることに、日本共産党の退廃の極みを見た思いがしました。
真の楽観主義とはなにか
「日本は、アメリカのいいなり」「国民が主人公」「全支部、全党員が、後援会員とともに立ち上がれば、勝てない選挙はない」「日本共産党がのびれば政治は必ず変わる――そのことは実績で裏付けられている」…
二十七日の七中総演説で臆面(おくめん)もなく「楽観論」をふりまく志位委員長の姿を見ていて、ある既視感に襲われました。
「美名」の末路は
以前から志位和夫委員長も同じ壇上から「たしかな野党」「綱領と響きあう」などとと叫び、支持者が増えずに苦しむ党員にたいし、バラ色の未来を描きました。
しかし、「美名」のスローガンの末路は哀れでした。志位氏は、自らの演説や蟹工船ブームと言う党拡大の絶好の機会を迎えても、党費を払ってくれる党員割合は増えず、しんぶん赤旗が減紙する状況は止められなかったのです。
今回、志位委員長は、「自民党政治のゆきづまり」と言及しました。いわく、「こんなにたたかいやすい選挙はない」と。しかし、そこには、なぜ党員が未曽有の不安を抱くにいたったかの認識はまったく示されませんでした。まるで不安が自然現象で生まれたかのようです。そこから出された対策に、まったく具体性がないのは当然でした。
多くの党員がモノのように使いまわされ、没収されるためのカネまで奪われる日本共産党。戦争と復興の時代を必死に生き抜いたお年寄りが、七十五歳の年齢を重ねていても、党から「拡大」を求められ、新聞配達を強いられる日本共産党。不破にいわれるまま、党員をふみにじり無駄金を使い、党の弱体化に加担する志位共産党。この深刻な現実に正面から向き合う姿勢があれば、安易な楽観主義など生まれようがありません。
不破・志位路線がつくりだした「負けても責任は取らない」路線による連敗にあえぐ党員が、その責任にまるで人ごとのような演説を聞いて何を感じるでしょう。志位委員長は、そのことに対する最低限の想像力さえ持ち合わせていないのではないか。そう思わざるを得ません。
委員長が委員長なら、それを取り巻く幹部も幹部でした。志位委員長の七中総の演説に対し、会場からは随所で盛んな拍手と歓声が起こりました。
自らの無能に対する自覚も反省もなく開き直る。その姿勢が党全体を覆っていることに、日本共産党の退廃の極みを見た思いがしました。