10月2日現在、ポラリスで大暴れているコミュニストこと、通称コミュたんw。いまだに暴れつづけるつもりのようなので、こっちに誘導するためにエントリーをたてる。

その前にポラリス管理人の以下の発言について

 これまで、どの記事に関してもコミュニスト氏とキンピー氏等(ちょっと前までは布引洋氏も)の少数の人が、本質ではない揚げ足取り的言葉の遊びをやって、このブログの相当のエリアを消耗してくれています。
 彼らは、どの課題一つさへ、理解し合おうとは一切せず、馬鹿げた言い争いをしているに過ぎないと考えています。
 これは論争ではありません。あまりにも論議の焦点が低級です。

 この評価に我慢ならないのであれば、心当たりのある投稿者は、ここから立ち去ってください。
あなた方の論評は不要です。

ぼくちんに言わせると、こういうことしか言えないから、ポラリスはコミュたんを引き寄せるんだと思う。

だって、心当たりのある投稿者wであるぼくちんのアプローチは「理解し合おう」とする視点に貫かれているから……なーんて言ったらオイオイ(^^;)との声が聞こえてくるはずなので、もう少し詳しく解説しよう。
大学におけるゼミナール、特に厳しいゼミと呼ばれるところでは、ボクちんのやるようなアプローチは、どこでも普通に使っている。おちゃらけまではしないけど(おいw!)

なぜそんなことをやるのかと言えば、相手の言うことを根本から理解しようとするからにほかならない……といいつつ指導教授は、そうしたツッコミを行うことで、学生がいかにモノを知らないか、理解していないかを分からせようとするのだけど。

ボクちん自身、そうしたゼミで鍛えられたとは、とてもじゃないが言えない。言えるようなら、今ごろ山口二郎以上丸山真男以下の学者になっているというか、ボコボコにされっ放しwwwで自分は学者には向かないと思い知らされたクチなのだけど、そうした経験をしていると、コミュたんには、キチンと指導をしてくれる人物がいなかったんだなぁとの思いを強くする。

その意味では、ポラリスの管理人も同様だ。自分たちの都合の悪い質問や気に入らない質問に真摯に答えず、削除をくり返し、キチンと対応することを拒否してきた。ぼくちんも何回かやられたし、すーちゃんもやられたようである。

これは、ポラリスの「隙」なのだ。ポラリスは、自分たちに敵対しなかったら何を書いても許される。コミュたんにそうした安心感をあたえているからこそ、コミュたんが跋扈するのである。

ぼくちんはコミュたんをはじめ、多くの党員blogにお邪魔するだけでなく、こちらもご招待しているのだが、ほとんど来ていただけない……いえ、来ていただけない理由もわからんわけゃないんですだ。

嶋ともうみが他人を装って書き込んで来たらキチンと指摘しますだ。「自民党総裁選は読売と日本テレビの創作だ」などといったスクープwが来るなら丁寧に真意を伺いますだべ。

どうもそうした行為が嫌われているようなんだよねぇ、不思議ですねぇ……これは嶋ともうみの書き込みだよと書かれていない事実まで示したり、「自民党総裁選は読売と日本テレビの創作だ」などといった一見分かりにくいスクープをより正確に理解するために質問したりすると、一部の党員からは蛇蝎のごとく嫌われるのです。どうして理解しようとしたら嫌われるのでしょうかw?

このblogにも隙がないわけではない……実際は隙だらけなのだども、それを埋める行為として、当方は明らかに無関係なスパム以外は一切削除を行わないですだ。管理人であるボクちんを、あるいはコメントの書き手を、いくら批判しようが自由であり、いかなる批判をしても削除はされないですだ。

そうすることでしか、誰でも遠慮なく意見が言える開かれたblogにならないと考えるからだも〜ん。なぜなら主張の是非を決めるのはblogの管理者ではなく、読者である。それが開かれたblogの考え方だと信じますだ。

以上、ポラリスとコミュたんについて思っていることを書いた……けど参考になんかしないだろうなw