日本共産党が主催する、私の名前を冠した賞が終わったそうだ。この由々しき事態に爽快感を覚えると言えば、意外に思う人も多かろうが、意外ではない。近年の共産党員の堕落ぶりは目に余る。やっと我が名を使われる屈辱が終わったのだ。爽快でなくてなんだというのか。

共産党員たる者の義務とは何か。理論面ではマルクス・レーニンの著作に親しみ、毎年読み返すことで新しい発見をし、実践に活かすことである。誰かの書いた解説書に頼るのではなく、直接マルクス・レーニンの著作を読むところに意義がある。

なぜか。マルクス、レーニンの学説を勝手に公式化して、それを機械的に現実問題の解決に適用せんとする者。またマルクス、レーニンの学説の公式的適用が実際問題の解決、現実の闘争の指導においてまったく無力であるということから、直ちに理論を軽視し、無視して偏狭素朴なるいわゆる実践主義に陥る者。このような者たちと一線を画するためである。
マルクス、レーニンの学説は、現代において使いものになせないと思うのは間違いだ。マルクス・レーニンは、きちんと学び、現代に応用するためにある。マルクス、レーニンの学説の公式的適用ほどマルクス、レーニンの学説に反したやり方はない。実践に活かせないのは、党員の資質の問題なのである。 しかるに、坂本ひろしをはじめとした日共党員らは、直接マルクス・レーニンに親しまず、他人の著作を読むことでお茶を濁すか、講義を聞いて満足しようとする。

入党間もない、若い者なら、まだそれも許されるであろう。だが、坂本ひろし、あるいは宮本たけしのような党の都道府県組織を率いる者が、こんな調子で恥ずかしいと思わないのでろうか。 思っていないのであろう。思っているのであれば、あれほどマルクス・レーニンの影響ではなく、不破捏造哲三やしんぶん赤旗の影響が見られるような緒雑文を公表できるはずがないのだ。

我が名は、真のマルクス・レーニン主義者に使ってもらいたい。さもなくば、消え去っていた方がよほどよい。