きょうの岳志先生は、子供の発達障害に関するパンフレットを読んで、大変感銘を受けられたようでつ。

先生の要約を読んでいると、子供には曲がりなりにも支援体制があるようでつが、不惑を大幅に過ぎてもきちんとした日記を書けない大人の支援はないのだなぁと暗たんたる気持ちになりまつ。でも未熟ながら一人の中年男の支援を続けていると、昨日仲間ができました。ありがたいことてつ。

でも、先生は実際の教育現場のことをよくご存じないようでつ。私もあんまり知りませんが、PTAでかかわった友人によれば、発達障害、あるい別の障害(よくわからん)を持つ子供はそもそも普通の授業についていけないどころか、坐って先生の話を聞くことにも困難を伴うことが多いようでつ。

そんな生徒が騒ぎだしたりすると、授業自体が成立しません。少人数にする程度で解決するような生易しいものではないのでつ……というか、先生、支援者の苦労、読んだんじゃなかったんでつか?
 これら困難を抱えて困っている子の支援では、いかにあくまでその子を中心に、親や学級・学校教師集団が、専門家の知識やアドバイスも得て、きめ細かでて いねいな対応を保障するかにかかっています。今日の教育現場と教師にかけられた厳しい攻撃と超多忙な状況の下で、子どもの発達へのあくなき信頼を胸に、現 場でこういった問題に必死に取り組んでくださっている教師や医療・教育専門家、支援団体のみなさんに本当に頭が下がります。

 今日の教育 の困難に父母も教師も、なによりも子どもたち自身が悩み苦しみめられています。悪戦苦闘の中から確かに掴み取ってきた経験や教訓は、「どの子にもいきとど いた教育を」、「学校と家庭が一人ひとりの子どもたちをしっかり見守ることのできる余裕と体制を」ということであり、そのためにも少人数学級の実現こそは 焦眉の課題です。

やっばり書いてまつねw。ところで昔はそうした教育困難な生徒のために別の学級を作って放り込んでいることが多かったようでつが、近年はそうした子供が来ると分かっていると、その子のための専属教師をつけてくれるようでつ。昔では考えられない、素晴らしいことでつ。

しかしこれは少人数教育の成果ではありません。特別の体制を作っているが故の成果でつ。そしてそうした体制を支えているのは、限られた予算の中から入ってくる子供に応じて特別枠をひねり出し、それでいて他の子供にも教育が行き渡るようにしようとする教育委員会のダイナミックな予算運用によるものでつ。

発達障害の子供の支援は少人数教育でできると思い込んでいる誰かさんより、現場はすすんでいるようでつ。