たけし先生がやりました!今月最高の日記を書いて下さいました!

筆坂秀世氏は「週刊朝日」の「赤い共産党の黒い内幕」(下)で、「私は『日本共産党』という本を、共産党攻撃のために出したわけではありません。一般党員を攻撃した部分は一ヵ所もないはず」などと述べていますが、昨日紹介した「公明新聞」の「編集メモ」を読めば一目瞭然なように、”共産党つぶし”“共産党封じ込め”を系統的にすすめる支配勢力がこの筆坂氏の本を、共産党攻撃に最大限利用していることは間違いのない事実です。

まったくぅ……。一般党員を攻撃したところはないと言っているがと言うなら、一般党員を攻撃しているところがある、それはここだと言えばいいのに、振り上げたこぶしの行く手を公明党にすり替える先生、ステキィ

だいたい公明党が党攻撃に使っているというなら、あいつらガセネタを信じ込んでいる、ばぁかめと言ってやればいいでしょう。不破タンはガセネタと言っているんだから、そう言ってやりゃいい……でも言えばやられちゃうもんねw

と前ふりしておいて、いよいよ本番、たけし先生のショータイム、始まりはじまり〜

筆坂氏が「自分で質問もつくれない議員たち」などと言っているのは聞き捨てなりません。日本共産党議員の質問は議員の個人プレーではなく秘書の人たちの力も含めたチームプレーであることは筆坂氏が自分に関しては得々と語っていることです。

そうですとも、そうですとも、うんうん。でも、たけし先生の日記を半年くらい前から見ていまつが、これ、私がやりましたと国会論戦データのアドレスを付ける、たとえば

私は当時から、この大リストラ計画を国会で繰り返し追及してきましたが(詳しくは「国会論戦データ」2002年3月14日http://www.miyamoto-net.net/sanin/020314.htmlをご覧下さい)

なんて書き込みは腐るほどたくさん見つかりますが、チームワークとしてやったことを明示しているのはゼロです。唯一チームワークを明示してあったのは、場外馬券場をつくろうとした業者をぎゃふんと言わせたおりに、何人かの市議会議員の協力を得たことが書かれていた一日分の日記のみです。しかし、これは不幸にも、たけし先生とこのサーバが飛んでしまったおりに、日記データが消えてしまいました。となると、私が、私が、のデータしか今のサーバには残っておりません(笑)

 そういうチームプレーに支えられて調査も国会論戦もすすめています。筆坂氏が「衆参両院の多くの議員の質問づくりを手伝った。」などと自慢するのも、それは当時彼が政策委員長だったからにすぎず、議員相互のチームプレーで言えば、私だって多くの議員の質問づくりを手伝ったし、手伝ってももらいました。だからといって、普通の共産党議員は「つくってやった」などとは考えないのです。

これは、一般論としては正しいかも知れません。しかしたけし先生の目線で見れば、全く疑わしいと判断できるのでありまつ。だいたいチームで仕事をしていると思っているのなら、チームのことを考えて自分以外の国会議員の論戦データも紹介するのが普通ではありませんか。それをやらずに「私が」「私が」では、説得力ゼロ。自分の都合の良いときだけチームを出してきているのが明白でつ

最後は最高でつ!

 第一、筆坂氏は私が当選した1998年から3年間、最初に所属した「参議院交通・情報通信委員会」でコンビを組んだ人でした。この間、参議院交通・情報通信委員会でわが党が行った質問は41回にのぼりますが、彼は「政策委員長だから忙しい」ということで質問に立ったのは98年に1回、99年に1回、2000年に2回のみであって、それ以外の37回はすべて私が質問に立ったのです。これも「チームプレー」と思えばこそのことでした。それを今になっていっしょに仕事をした議員をまるで無能呼ばわりすることだけは、決して許せるものではありません。

この文章は、前段と違って、明らかに自分が無能呼ばわりされていると意識して書かれていますね。でも筆坂氏は、たけし先生が質問を作れなかったとは一言も言っていませんよ。言っているのは政治将校氏。busayo_dicは、伝聞情報なんで言われたんですかぁと疑問を投げかけているのみ。いずれにせよ、ここか、小隊長日記にしか書かれていないことでつ。

そこに食らいついてきたことで、たけし先生は、とうとう我々の存在を公式に認めたことが分かりますた。語るに落ちるとはこのことでつ。

さぁ、宮本たけし前参議院議員、こちらに書き込んでいだきましょうか!
まずキンピー問題。「キンピーはオレが押さえ込んだ」とおっしゃったそうですが、ピンピンしてまっせ(笑)。いつどのように押さえ込んだのか、説明していただきましょう。

書き込まれたトコから新しい記事のエントリー、させていただきますよん\(^^)/。