大阪生駒霊園内にあるという『大阪解放戦士の碑』で挨拶された先生。一曲ギターをご披露されたようですが、曲を選んだ時に、ご夫婦でこんな会話があったそうです。

われわれ夫婦はまだ若く、夫婦で「死んだ後のこと」などを話し合うことはまだめったとないのですが、昨夜話の中で、「どちらが先に逝くにしても『大阪解放戦士の碑』で会おう」と話し合いました。

きっさまとオ〜レ〜と〜は〜同期のさ〜く〜ら〜なんて感じで、軍靴の響きがそこはかとなくいたします。なにせ戦士でございますから。

「さらば、友よ、またこの場所で会おう、さくら舞い散る道の、さくら舞い散る道の、上で・・・」というところでは、ご遺族のいく人かは涙されておられました。

ところなど、まるで靖国神社の桜を想起させまする。そして話は治安維持法へ……。



治安維持法というものは、戦前のわが党が、「帝国主義侵略戦争反対!」「絶対主義的天皇制打倒!」の旗をかかげたことを憎み、日本共産党員であることや、 それを支持する思想をもつこと自身を犯罪として裁き、最高刑は死刑という希代の悪法でした。つまり、戦後は日本国憲法の大原則となった平和主義と国民主権 の思想を持つものを犯罪として弾圧したのです。

あー、たけし先生、共産党員が弾圧されていたのは事実ですけど、平和主義と国民主権の思想じゃなくて、革命めざしてたんじゃなかったしたっけ?それに、今にも通ずる妙なクセもありませんでしたっけ?

ま、言ってもムダでしょうけど……。