昭和四十年代から五十年代にかけて一世を風靡した、入江塾の創業者。昭和19年教師になってから、戦後組合活動に奮闘、日本共産党にも入党し昭和22年府議会に立候補。後に除名処分を受ける。

通信添削からはじめた事業が後に入江塾に発展。スパルタで有名だったが、灘高の入学定員の六割を入江塾出身者が占めるなど、成果も大きかった。
昭和61年、脳内出血で倒れ塾を閉鎖。今年2月22日没。