今年もそろそろ八月を迎えようとしています。60年前の八月、日本では本土決戦を叫び、老若男女に関わらず戦争に組み込まれ、私よりもずっと若い青年たちは、兵士としてかり出され命を落としていきました。

中には戦場にたどり着くことなく、命を落とした者もおりますし、運良く戦場にたどり着いても、そこで待ち受けていたのは飢餓と病でありました。南方に行った兵士達の命を最も多く奪ったのは、敵の鉄砲の玉ではなく、餓えと病だったといいます。

そんな中、学徒出陣をひかえた若者が、こう書き残しております。
「日本人の死は日本人だけが悲しむ。外国人の死は外国人のみが悲しむ。どうしてこうならなければならないのであろうか。なぜ人間は人間で、共に悲しみ喜ぶようにならないのであろうか。」(日本戦没学生の手記)
戦前の日本は世界から孤立し、傲慢で偏狭な視野しかもたず戦争に突っ走っていったわけですが、この学生の言葉は今も生きております。例えば北朝鮮を見てみますと、金正日指導体制のもとすすめられた拉致や核という許しがたい問題はありますが、私たち日本人が、飢餓や人権問題に苦しむ北朝鮮人民を憎む理由などどこにも無いはずであります。

現在、日本の指導者の中には、「北朝鮮憎し」と対立を煽るような意見もありますが、そのような意見に全体がこり固まってしまう前に、私たちは対立する国の人々の暮らしに想像力を働かせ、機会があれば在日北朝鮮の人たちとコミュニケーションをはかり、そして脱北者や拉致被害者の言葉に耳をかたむけ、その中で解決の道を探るべきであります。

そしてなにより気をつけなければならないのは、傲慢になってしまったり、想像力の欠如やコミュニケーション不足で、問題をこじらせたり、悲惨な結末を迎えてしまうのは、なにも国家間の問題だけではなく、私たちの身の回りに常に潜んでいるということであります。

罵詈争論でした。