1969年6月29日、ベ平連事務所に前日の新宿事件の容疑で家宅捜索。

 新宿事件とは郵便局への自動読取機搬入に抗議するデモに、機動隊が出動して催涙弾を発射した事件である。

 この暦では故・中西正和氏の「歴史データベースon the Web」を参考にさせていただくことが多い。この日は「1969年6月29日 新宿で反戦フォークソング集会が開かれ、64人が逮捕される」とあった。

 しかし過去の暦を調べると、1969年のこの日は日曜である。新宿西口反戦フォーク集会が開かれたのは土曜夜のことだった。これは新宿事件と取り違えてしまわれたのだろう。

 この当時、ベ平連の若者たちは土曜の夜ごと新宿駅の西口地下広場に集まって、反戦フォークを歌い、議論を戦わせていた。若者の数は数千人に膨れあがった。5月、当時の国鉄が学生たちの排除に乗り出し、7月を最後に広場から歌声が消えた。

 あの反戦フォークソング集会の中にいた女性が、あの頃と同じように、毎週土曜夜に、同じ場所に立ち、仲間たちと「戦争反対」を訴え続けている。大木晴子さんである。
 大木さんが新宿西口に立ち始めたのは、アメリカのイラク攻撃が目前に近づいていた2003年2月のことである。このときの思いをこのように書いている。

 「あのときと同じ場所で……
 私の中に、二月からの「新宿西口地下広場」での反戦意思表示、そして意見広告運動を通して「自分にいまできること」を少しずつ行っていきたいという気持ちが育ちはじめました。
 パソコンも十分に使うことが出来ない私が「ホームページを持つなんて……」と諦めかけた時、西口で一緒に意思表示をしているY子さんに「応援するから」と元気づけていただきました。
 立ち上げは、1969年の西口地下広場で一緒に歌っていた伊津信之介さんに拵えて頂きました。伊津さんは、気まぐれニュースなど地域の情報を発信しておられます。」

 伊津信之介氏は、7月に道路交通法違反で逮捕された、有名なフォークゲリラの一人。毎週土曜日、夕方6時から7時までの1時間、大木さんとその仲間たちは、自分のメッセージを託したプラカードを持って立つ。

 「この国は再び戦争ができる国になってしまった」
 「非暴力直接抵抗」
 「PEACE」
 「見つめよう! 政治を正す力は市民にある」
 「九条実現」

 私は、プラカードを持って立つことは、たぶんないだろう。私は大木さんとは、およそ対極的なところで活動してきた。しかし、大木さんも含めた反戦フォークの人々を「道路交通法違反」の罪状をもって逮捕した権力に対する怒りだけは、今も変わらない。本当の民主主義には、民衆が集まる広場が必要なのだ。

 大木さんは「生活の中から、平和に繋がる意思表示を!」と訴えておられる。世の中は選挙シーズンである。恋やセックスと同じくらい、政治だって大切なことだ。そんな風に若い人たちが思ってくれたらうれしい。最後に、辺野古のたたかいに関連して、大木さんらが作った絵本「ジュゴンの海から」を紹介しておきたい。売上は全額辺野古の運動支援のために使われるという。

【参考サイト】
明日も晴れ 大木晴子氏のページ
http://www.seiko-jiro.net/index.php
「ジュゴンの海から」(辺野古・ジュゴン語翻訳の会)・300円
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=289