父の日である。
 父の日のイメージカラーは、イエローなのだそうだ。イエローのネクタイにイエローの薔薇。この歳になって初めて知った。

  新宿の女も老いぬ桜桃忌 木下ひでを

 この季節になると思い出すのが、太宰治の『桜桃』である。
 太宰は6月13日の深夜から14日早暁の間に山崎富栄とともに玉川上水に入水。そしてこの日、二人の死体が発見された。奇しくも太宰治の39歳の誕生日であった。一周忌にあたって、「桜桃」にちなみ桜桃忌と名づけられた。

 「桜桃」には「親よりも子供が大事と思いたい」という名文句があるが、いま読み返すと、言葉に遅れのあった長男への思いが胸を打つ。太宰が死んだとき、まだ39歳の若さだったことにも少し驚いた。太宰文学は青春のはしかのようにいわれるが、現在なら、まだ若造もいいところだろう。

 太宰治の文学作品は、前期、中期、後期に分けるのが慣わしになっている。『二十世紀旗手』の錯乱、『走れメロス』の健康、『斜陽』の敗亡は、左翼崩壊の時代、戦争の時代、戦後の混乱の時代に対応するものだ。中野重治が太宰治を追悼して、「人としていい人で、しじゅう共産主義、共産党、革命運動のことに頭を占領されていたが、そのことを全面的に、自分自身にたいして明らかにすることなしに引きずられて行ったかたむきがある」(「死なぬ方よし」)と書いたのも故なしとしない。

 中野重治はまだしも好意的だが、宮本顕治ともなると手厳しい。太宰治を「背徳者または生活破産者」と全否定する、左翼サイドからのアンチ太宰論の一つの典型だといえよう。

 「彼の芸術は、第一創作集の『晩年』以来なんら本質的発展のないものであった。変化はある。『道化の華』の未熟なぎこちなさ、形式上の不統一にくらべるならば、『斜陽』や『人間失格』は、技法的には老練になっている。しかし、その老練さは、芸術的崩壊を意味する。……ある人々がいうように、彼の文学が一貫して追求してきたものが、人間の「美と純粋さ」であったとみるのは皮相である。彼の作品の特徴は、それを一筋に追求しないで、道化や不倫のロマンティックな自虐的な肯定によって回避し、しかもその濃厚な不倫的色調によって、なにか深刻な自己呵責と人間性追求があるかのように小市民的な批評家と読者をまどわすのに成功してきたのである」(宮本顕治「『人間失格』その他」)

 ここにあるのは、宮本顕治の出世作である「敗北の文学」と同じ論理構造である。しかし太宰に対する評価は芥川龍之介よりも低い。宮本にあっては、芥川の「或阿呆の一生」は、「過渡的インテリゲンチュアの歴史的高塔」であった。そして芥川の病苦の中には、「資本主義の悪」を認めてその中に安住する自身を恥じる心−−「あらゆる小ブルジョア・インテリゲンチャの痛哭」がある。しかし自己への絶望を社会全般への絶望におきかえるのは、「小ブルジョアジーの敗北主義」にすぎない。だからこそ私たちは、芥川の文学を批判しきる野蛮な情熱を持って、「敗北」の文学を−−そしてその「階級的土壌」を踏み越えて行かねばならないのである。

 なかなか感動的な文章である。しかし、「本などムショでもいくらでも読めらあ」とうそぶき、闘争に明け暮れた時代を生きた人間にとっては、さて、「勝利の文学」などあるのか? 文学など読むこと自体が、すでに敗北であるように思われていたのだが、どうだろう。

 しかしプロレタリア文学など誰にも省みない。さらに、宮本顕治の文学論をあらためて取り上げるのも、このBlogも含めてごく一握りだろう。この事実ほど、「敗北の文学」の敗北を物語るものはない。マルクス主義の最大の欠陥は、革命像にしても労働者像にしても、自覚した、あるいは覚醒した、観念的なエリート的な人間像しか入っていないことだろう。

 共産党はいつも「勝利」「前進」「拡大」ばかりで、もう100回以上単独政権が成立していてもおかしくない勢いなのに、なかなかそうはなっていない模様である。「時にプロレタリアートは勝利することがあっても一時的なものにすぎない」(『共産党宣言』)という、マルクス・エンゲルスのクールな視点からはほど遠い。

 敗北を敗北として認めて自己解析するところからしか、あすの出発もなく、そうでなければ、同じ失敗を繰り返すだけだろう。まだ君たちには敗北が足りない。絶望も足りない。文学は何の役にも立たないが、君の味わった敗北をより深く体験する役には立つ。絶望するにも知性が必要なのだ。

 「負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える」(「黄金風景」)

 「じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。」(「かくめい」)


【参考文献】
『文芸読本 太宰治』 河出書房新社