萩原 遼(はぎわらりょう)
1937年高知県生まれ。1967年大阪外国語大学朝鮮語学科卒業。1969年〜88年、「赤旗」記者。72年〜73年、平壌特派員。1988年12月に「赤旗」を退職。
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私の退職はふいにやってきた。1988年12月3日であった。河邑重光編集局員に呼ばれた。ある部署への異動を告げられた。そのとき私は外信部の副部長をしていた。なぜ異動なのか? なぜ解任なのか?」
「人事については理由はいえない」
私は言下に拒否して、口頭で辞意を表明した。
『朝鮮と私 旅のノート』より
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その後フリーランスとなり、ワシントンに滞在。国立公文書館秘蔵の米軍が奪取した北朝鮮文書160万ページを読破、『朝鮮戦争−金日成とマッカーサーの陰謀』を著す。萩原氏が反党分子扱いを受けるのは、1994年12月、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の発足以降のこと。これについては、『朝鮮と私』文春文庫版かきおろしの第5章が詳しい。
『朝鮮戦争−』は、ハードカバー・文庫版合わせて15万部以上のベストセラー。硬派のノンフィクションとしては、これは驚異的な売上部数である。「赤旗」記者のジャーナリストとしての底力を示すと同時に、共産党ではその能力を発揮できる場所がなかったようである。
1937年高知県生まれ。1967年大阪外国語大学朝鮮語学科卒業。1969年〜88年、「赤旗」記者。72年〜73年、平壌特派員。1988年12月に「赤旗」を退職。
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私の退職はふいにやってきた。1988年12月3日であった。河邑重光編集局員に呼ばれた。ある部署への異動を告げられた。そのとき私は外信部の副部長をしていた。なぜ異動なのか? なぜ解任なのか?」
「人事については理由はいえない」
私は言下に拒否して、口頭で辞意を表明した。
『朝鮮と私 旅のノート』より
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その後フリーランスとなり、ワシントンに滞在。国立公文書館秘蔵の米軍が奪取した北朝鮮文書160万ページを読破、『朝鮮戦争−金日成とマッカーサーの陰謀』を著す。萩原氏が反党分子扱いを受けるのは、1994年12月、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の発足以降のこと。これについては、『朝鮮と私』文春文庫版かきおろしの第5章が詳しい。
『朝鮮戦争−』は、ハードカバー・文庫版合わせて15万部以上のベストセラー。硬派のノンフィクションとしては、これは驚異的な売上部数である。「赤旗」記者のジャーナリストとしての底力を示すと同時に、共産党ではその能力を発揮できる場所がなかったようである。