日本共産党が6全協以前に組織化しようとしていた、武装革命組織の一つ。類似組織に、農村への拠点作りに従事した山村工作隊がある。最終的には人民軍となる予定だったが、もともと戦略もなかった上に、爆弾一つ自前で作れない技術力の低さのため、たいした活動はできなかった。

その上、陸軍中野学校出身とおぼしきスパイが提供した、ろくでもない爆弾や武器作りの教則本、「球根栽培法」や「栄養分析表」を提供されて喜んでいた。「球根栽培法」や「栄養分析表」は、見かけは立派だが、製造不可能どころか、作る途中で事故を起こす代物ばかりで、敵よりも味方を傷つける目的で作ったものとしか思えないひどい内容であったと、当時共産党からスカウトされ爆弾を作っていた木村哲人が回想しいている。
木村によれば、この程度の教本で喜んでいた日共には武装革命の意図はなかった。たぶんコミンフォルム批判への対応として、言われた通りやってますと宣伝するつもりで武装闘争を唱えたに過ぎない。

しかし、党の方針を信じ、武装闘争に身を投じた多くの人たちは、六全協後、はしごを外されうち捨てられた。ヤクザでも、組のためムショに入った者の面倒くらいは見るものだが……。