5月1日はメーデー。労働者の祝日である。

 ▽聞け万国の労働者(メーデー歌)
 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kike.html
「起て労働者奮い起て
 奪い去られし生産を
 正義の手もと取り返せ
 彼らの力何物ぞ」

 日本におけるメーデーは1920(大正9)年5月2日に上野公園で行われたものが最初である。「聞け万国の労働者」は1922年、第3回メーデーのために公募された新メーデー歌として、当時池貝鉄工所の労働者がストライキを決行する中で作られたもの。

 近代的なメーデーの起源は、1886年5月1日アメリカの労働者が1日8時間の労働時間を要求して19万人がストライキに決起したことに始まる。
 「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」(「8時間労働の歌」)

 この闘いの昂揚のなかで、8時間労働が成立するかに見えた。しかし資本の意を受けた警察権力は反撃に転じて、2日後の5月3日、シカゴの機械労働者4名を警官隊に射殺する。さらに翌4日には、この射殺事件に抗議するヘイマーケット広場の労働者集会に警官隊がライフル射撃を行った。このとき、何者かが警官隊に爆弾を投げ込んだ。1人の警官が爆死して、混乱した警官隊の銃の乱射により警官6名と労働者4名が死亡する。

 翌日、この事件を口実として、全米に戒厳令が布告され、労働組合の指導者・活動家が逮捕され、令状なしの家宅捜索、組合事務所の閉鎖、組合の新聞の発行停止など、徹底的な弾圧が行われた。

 そして当日その場にいなかったことが明白な者も含めて、8名の労働組合のリーダーたちが逮捕・起訴される。その大半が20代から30代の若きアナキストや社会主義者たちだった。この裁判では全員が有罪となり、3名が終身刑または15年の懲役、5名が絞首刑判決を受けた。1893年にイリノイ知事がまだ生存していた3名を恩赦で釈放されたが、この裁判は権力のデッチあげであるのは、当時からも誰の目にも明らかだった。

 この事件はヘイマーケット事件といわれる。

 アメリカ総同盟の労働者たちは、この弾圧に屈することなく、1890年5月1日に再度ストライキで8時間労働制を要求してたたかうことを決定する。フランス革命百周年の日に結成された第2インターナショナルも、アメリカ労働者に連帯して世界各国で一斉に集会やデモをすることを決定する。メーデーとは、8 時間労働を求めて起ちあがった、この日のアメリカ労働者の戦いを忘れないための日だ。

▽シカゴのレイバーヒストリーツアー・メーデーの起源を訪ねて
 (APWSL日本委員会/アジア太平洋労働者連帯会議サイトより)
http://www.jca.apc.org/apwsljp/report/losangels/la04.htm
▽CITY PLAQUE NOW MARKS HAYMARKET TRAGEDY SITE
http://www.kentlaw.edu/ilhs/hayplak.htm


 8時間労働が初めて国の法律として確立したのは、1917年のロシア革命のことである。1919年のILO第1回総会では、「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に定め、国際的労働基準として確立するに至った。

 しかしヘイマーケット事件から120年近く、ロシア革命からでさえ1世紀近いというのに、日本政府はこのILO第1号条約に批准すらしていない。実は日本には資本主義のルールさえ確立していないのだ。

 過労死や過労自殺が問題になっている現在、「8時間労働」をかかげたメーデーは、決して過去の問題ではない。

▽なぜ日本政府はILO第1号条約(8時間労働制)を批准できないのか
 服部信一郎氏(労働時間短縮研究所)
http://www.jitan-after5.jp/essay/es020511.htm


 メーデーといえば、1952年5月の第23回メーデーの「血のメーデー事件」も忘れてはならないだろう。共産党系部隊数千名が人民広場(皇居外苑広場)に突入、警官隊と交戦のうえ、2名が射殺された事件である。この事件については、宮地健一氏のサイトに詳しい。

 この共産党系部隊の人民広場戦闘は、朝鮮戦争の情勢下で、ソ連・中国の両共産党に従った後方基地撹乱戦争であったとされている。たしかに極左的な冒険主義も、ソ連や中国に盲従したことも、今日の観点からは批判されるべきである。
 しかし「皇居外苑広場」が、たとえ一瞬であれ「人民広場」とよばれた時代があったことは忘れないようにしよう。都市の中心に広場があるのは、ギリシアのアゴラ(広場)に始まる民主主義の大切な伝統である。広場とは、そこに人々が集い、時として権力に異議申し立てを行ってきた、民衆の自由と自治の象徴である。わが東京には、このような広場がない。1952年の血のメーデー事件は、東京のど真ん中に「人民広場」を出現させたのである。

▽「藪の中」のメーデー人民広場における戦闘
 (宮地健一氏のホームページ)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/mayday.htm
▽新書で読む現代世界・現代文化−−原武史『皇居前広場』(光文社新書)
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/04kisoen/hara.html

 今日のメーデーからは、今まで書いたような戦闘的な伝統は忘れ去られている。たんなるお祭りであるという人たちもいる。

 もし、今日のメーデーが非難されるとしたら、それがちっとも面白くも楽しくも何ともないからだ。メーデーの起源は、もとを正せばヨーロッパに古くから伝わる五月祭であることを、みんな忘れている。山から高い樹を伐採して曳いてきた五月の柱(メイポール)のまわりで踊り、五月の女王(メイクイーン)を選び祝福する民俗が存在していた。『金枝篇』を著したフレイザーが説くように、五月祭や樹木崇拝は古代ローマのフローラ(花の女神)の祭りをルーツとして、中世から近世までヨーロッパ各地で行われていた。

 樹々の緑が眩しく、生きとし生けるものがすべて陽光に光り輝く、たえに美しき五月の祭り。それがメーデーである。そして祭りとは、日常的秩序からの逸脱、そして社会的秩序の逆転する空間を出現させるものであり、ときとして時の権力を打ち倒す民衆叛乱にも結びついてきた。その歴史はマルクス主義なんかよりはるかに古い。

 今日は祭りの日だ。サラリーマンやフリーター、パートや派遣社員、失業者にニート、その他有象無象なごくフツーの人々の幸せだけが、この社会を救うことができる。資本家と企業家に都合のよいようにと考えればすむ時代は、もはやとっくに終わっているのである。

 「働き、創り、生きる」ことが一つに重なるような生命の喜びを回復するための祭り、自由と自治のための「広場」を創り上げていく祭りとして、21世紀のメーデーを心ゆくまで楽しもう。