4月29日はみどりの日。かつては「天長節」「天皇誕生日」ともいわれた日である。

 共産党の勤務規定も変更になり、これまで党本部職員の勤務規定で「休日」としていなかった「建国記念の日」「みどりの日」「天皇誕生日」を、昨年暮れの天皇誕生日から「休日」にすることにしたという。

 党本部の職員が素敵なホリデーを過ごしてくれたのなら、非常にうれしい……というのは、「こちとら休みじゃねーんだよ」という、あくまでも社交辞令にすぎない。

 わが日本共産党が天皇制にちなむ「祝日」を党職員の休日にするに至ったのも、新綱領における「象徴天皇制」の容認論の影響だろう。
 「11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。

 党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」(「日本共産党綱領」http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/)

 憲法上の制度日本国憲法において、天皇は「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」とされている。なるほど、象徴であって「代表」ではない。これは世襲制に基づく天皇制を「民主主義の徹底に逆行する弱点」であるとしながらも、象徴天皇制を国民主権の原則を独特の形で制度化したものだ」として、一定の条件で“容認”するに至ったものである。

しかし憲法は、「主権在民」を明確に謳いながら、他方ではその主権者の統合の「象徴」として、「自由・平等・友愛」の近代ブルジョア民主主義の理念でなく、世襲制による戦前の絶対君主であった同じ天皇をもってきた。これこそが、私たちの憲法それ自体が内包する根本矛盾である。

 なるほど、憲法学者の多数は、日本国憲法の天皇の象徴作用は、明治憲法の天皇の地位の権力的作用を廃して象徴的作用のみを残した結果成立したものだと説明してきた。

 しかしこれは「不親政」「象徴」こそが天皇の本来の姿だとする、保守派の主張と同じく、天皇の地位を永遠化しかねない議論ではないだろうか。「象徴が天皇の本来の姿」という議論は、天皇の祭祀的側面に限るならば、正しい見方かもしれない。しかし天皇は天皇であって、神社の神主ではない。天皇が支配共同体の一員でありその頂点にあることを、見逃してはならないはずである。

 私たちは、もっと率直であるべきだろうと思う。天皇の存廃が国民投票に委ねるしかないにしても、そのような未来にゆだねるのでなく、象徴天皇制なるペテンが、国民主権にも人間の平等にも反することを真正面から提起することがどうしてできないのだろうか?

 憲法上の存在だから象徴天皇制を認めてしまうのか? 「九条の会」と称する運動があるが、一体全体この人たちは、憲法九条があるから、戦争やイラク派兵に反対するとでもいうのか? あなたがたは、国民の大多数が戦争に賛成ならば、賛成してしまうのではないだろうか。自分たちが民衆を導くエリートで、民衆の味方で正義の味方だという欺瞞と偽善こそ捨て去らねばなるまい。

 愛子問題で、女子は皇位に就くことができないとした皇室典範の改正問題がホットな問題になったが、ほんとうに重要なのは、いうまこの国の制度が憲法が天皇制を残存させていること、さらに皇位継承について、世襲主義を定めていることではないだろうか? 

 象徴天皇制と矛盾しないような「民主主義」など、それはたんなる「象徴民主制」にすぎないのではないだろうか。自民党や民主党の議員の多くは世襲議員たちによって多数占められるのは、本当に民主的なのだろうか? 「党員が主人公」の党運営も実現できない共産党が、「国民が主人公」の「民主共和制」を実現できるのだろうか? 日本共産党が象徴天皇制に反対できないのは、自分たちがちっとも民主的でないから、つまり自民党と同様に、既存の支配秩序のなかで、自分たちの議席や既得権を守っているにすぎないからにすぎない。象徴天皇制を打ち倒すことは、ほんとうの民主主義を根づかせるたたかいでなくて、何だというのだろうか。

 いま、自民党・民主党は「みどりの日」を「昭和の日」に改めようという「昭和の日推進・国民ネットワーク」なる運動を進めている。
http://www.znet.or.jp/~tenden/showa.html
 「この日は、昭和天皇のお誕生日です。国民の心に、昭和天皇のお人柄をしたい、激動の昭和を忘れがたい気持ちが強くあったために、祝日として残されました。しかし、このままでは由来が忘れられてしまうのではないのでしょうか。
 私たちは、祝日名を「みどりの日」から「昭和の日」とし、趣旨として「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日の実現を目指しています。」

 いまだに「激動の昭和」の御世を慕う旧世紀のゾンビどもに、どうして「国の将来」など語る資格があるだろうか。こんな連中にいつまでも日本の政治を任せておくわけにはいかない。日本共産党も、もっと自己の主張や理念に率直であるべきではないだろうか。

▽反「昭和の日」プロジェクト
http://anti-emperor.hn.org/showa/