今では考えられないが、かつて共産党議員の中にはも小選挙区で共産党しか公認を得られなかったのに勝ち抜いた議員がいた。高知の山原健二郎は、そんな議員の1人だが、引退後ごく親しい人たちにむけて自分の消息や考えを伝える印刷物を発行、郵送やFAXで配布していた。
そんなモンあるとは全く予想もしていなかったのだが、高知の某読者氏が当blogの長年読んできて、山原健二郎のことを知って欲しいと生前に送られてきたエッセイをスキャンして送って下さった。
山原健二郎は、2004年3月8日没。送っていただいたのは2003年11月から2004年2月までのもの。11月13日に体調を崩し、先が長くないと自覚したようだ。そんな人が年を越えて出した党へメッセージが「あたりまえの党になって下さい」とは・・・
そして死の直前、中央委員会の書記局次長に転出する高知県委員会委員長浦田宣昭(現幹部会委員)に対する怒りのすさまじさ・・・山原健二郎ほどの実力者ですら、党の現状について絶望していたのを見るにつけ、10年以上経っても変わらない共産党の体質に、改めて絶望感を覚える。
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山原健二郎最後の訴えをお読みください。




「日本共産党は奥の院に最高機密が隠されている疑念がある伏魔殿政党」
その“奥の院”に、
偉大なる首領様宮本顕治同志旧邸
にあった“最高機密”の書類、録音、録画記録物?をお忘れじゃあないでせうか?
そして宮本太郎氏がそれらを“切り札”として温存していたら…………?
そういうのは、代々木党本部と伊豆の学習会館の図書室(資料室?)に収められています。
昔、この本が読書家の間で大いに話題になりました。書いたのは当時コロッケで有名だった総菜メーカーの幹部だった人ですが、この方ヒトラーマニアで、ありとあらゆるヒトラー本を読みあさり、ヒトラーの出生から死まで、何年何月何日ヒトラーはこんなことをやった、あんな暮らしをしたと20,645日の日別の年表を作ったのです。それを書籍化したのがこの本で、そんな大仕事はドイツでも誰もやっていないということで、ドイツのヒトラー研究者もスゴい資料だと買いあさったとか言われる、今では隠れた歴史的名著です。
で、これの宮本顕治版を、こんな本が出る前から共産党は作っているんですな・・・将来自分が学術的研究対象になると思っていたミヤケンが、自ら作成を命じたんです。
で、これは将来の党を担うと党が思った人にしか公開されません。当然私も見たことはありませんが、見た人は何人か当blogに出入りしているトカイウwww