1980年4月14日、サルトルが亡くなる。
きょうは、サルトル歿後25年である。どこかで追悼特集をや
ったりシンポジウムがしているのだろうか。
歿後20年には、サルトル研究会のシンポジウムもあったらし
い。しかしサルトルが話題になったとは聞かない。思い出せば
歿後10年のころでさえも、すでにサルトルは過去の思想家にな
っていた。
しかし、世の人々が忘れてしまっても、ここではしっかりと
記録にとどめておこう。仕事もあるので、今日は出来る限り簡
単に。
サルトルの小説や戯曲、哲学書が最もよく読まれたのは、1960
年代の左翼学生運動全盛期だっただろう。その当時、サルトル
が左翼学生に関心を集めたのは、 乱暴にいえば、「疎外とは
何か」と「政治参加としてのアンガージュマンの理論」の2点
に尽きたように思われる。続きを読む
きょうは、サルトル歿後25年である。どこかで追悼特集をや
ったりシンポジウムがしているのだろうか。
歿後20年には、サルトル研究会のシンポジウムもあったらし
い。しかしサルトルが話題になったとは聞かない。思い出せば
歿後10年のころでさえも、すでにサルトルは過去の思想家にな
っていた。
しかし、世の人々が忘れてしまっても、ここではしっかりと
記録にとどめておこう。仕事もあるので、今日は出来る限り簡
単に。
サルトルの小説や戯曲、哲学書が最もよく読まれたのは、1960
年代の左翼学生運動全盛期だっただろう。その当時、サルトル
が左翼学生に関心を集めたのは、 乱暴にいえば、「疎外とは
何か」と「政治参加としてのアンガージュマンの理論」の2点
に尽きたように思われる。続きを読む

