アグネス論争
1988年4月10日、林真理子が「文芸春秋」5月号に「いい加減にしてよアグネス」を掲載。「アグネス論争」が本格化する(子連れ出勤の是非)。
1988年の新語・流行語大賞では、流行語部門・大衆賞を受賞するほどの社会論争となった「アグネス論争」。この背景には、男女雇用均等法の施行にともない、「女性の社会進出」がマスコミで話題になっていたことがあげられる。
今やユニセフ大使でわが新日本出版社から著書も刊行しているアグネス・チャンだが、芸能活動のきっかけも、中学生の時にギターを片手に始めたボランティアのチャリティ募金活動だった。姉のアイリーン・チャンと共にジョニ・ミッチェルの「The Circle Game」をカバーした曲が香港で大ヒットしたことから平尾昌晃によって日本に紹介され、来日して『ひなげしの花』でデビュー。1973年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞する。高く澄んだ歌声、愛くるしいルックス、そしてたどたどしい日本語が受けて、人気アイドルとなる。
1988年4月10日、林真理子が「文芸春秋」5月号に「いい加減にしてよアグネス」を掲載。「アグネス論争」が本格化する(子連れ出勤の是非)。
1988年の新語・流行語大賞では、流行語部門・大衆賞を受賞するほどの社会論争となった「アグネス論争」。この背景には、男女雇用均等法の施行にともない、「女性の社会進出」がマスコミで話題になっていたことがあげられる。
今やユニセフ大使でわが新日本出版社から著書も刊行しているアグネス・チャンだが、芸能活動のきっかけも、中学生の時にギターを片手に始めたボランティアのチャリティ募金活動だった。姉のアイリーン・チャンと共にジョニ・ミッチェルの「The Circle Game」をカバーした曲が香港で大ヒットしたことから平尾昌晃によって日本に紹介され、来日して『ひなげしの花』でデビュー。1973年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞する。高く澄んだ歌声、愛くるしいルックス、そしてたどたどしい日本語が受けて、人気アイドルとなる。
その後カナダの大学に留学。この頃からボランティア活動を再開して、1985年には北京では5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、日本テレビの『24時間テレビ』のために、干ばつによる飢餓のエチオピアを取材している。1986年に元マネージャーの金子力氏と結婚して、 1987年11月に長男和平君をカナダで出産。
1988年2月9日、アグネスが和平君を連れて『なるほど!ザ・ワールド』に初出勤したのが論争の始まりだったようだ。3月15日、育児雑誌『ピーアンド』に「ママはオマエを自分の手で育てたいので、オマエを連れて仕事に行きます。オマエとママにとっては、ただ、毎日の楽しいおでかけなのよね」と書いた。これに対して、芸能界の大御所淡谷のり子が、3月20日の『おはよう!ナイスディ』で、「芸人は夢を売る商売なのに、楽屋に子どもを連れて来たりすると芸が所帯じみてよくない」と発言する。さらに林真理子や中野翠が批判して、アグネス・バッシングが始まる。
アグネスにも言い分はある。当時、アグネスは12本のレギュラー番組を抱えており、テレビ局から「早く復帰してくれ。子供を連れてきていいから」などと説得を受けて、不安に思いつつ職場に復帰したというのが真相だという。
いま、アグネス論争を読み返すと、働く女性と育児の両立の問題は、あまり進歩がないし、解決されていないことに暗澹たる思いがする。そして、「仕事場で子連れは是か非か」という議論に、どれだけリアリティがあっただろうか。『会社に託児所』を要求しない働く女の論理』と題して、コピーライター竹内好美氏は次のように書いている。
「アグネスが和平君をスタジオに連れて行っているという話題を初めて耳にした時、大多数の働く女性は、好意的に受けとめたことと思う。その時の平均的な心理は「やっぱり母親って赤ん坊とは一刻も離れがたいものだからね。アグネスのような仕事なら、それができるわけだから、大いにやるべきよね。そういう人が一人でも増えてくるのは、また別の側面から働く女性をバックアップすることになるだろうし……」というあたりだったろう。
その後、登場したアグネス批判に対して、働く女性たちからの反論がまったく出なかった理由は、林のヒステリックな論調に嫌気がさしていたこともある。しかしそれ以上に論争の中心が「仕事場で子連れは是か非か」という、働く女性の側からすればおよそリアリティーのないテーマに終始することになってしまったからなのだ。」
アグネス論争から17年、大手企業の中にはオフィスの近くに保育所をつくるところも出てきている。しかし、その利用率は必ずしも高くないと聞いている。この不況下において中小企業にはそのような余力があるところは多くない。派遣労働者については言わずもがなである。
女性労働者はもちろん、その正当な権利として、仕事場に子連れで行くことを企業に要求できる……しかし要求する女性は少ないだろう。赤ん坊を抱いて道を歩くときに潜む、さまざまな危険。行き帰りの階段の昇り降り。電車の中にうようよいる病原菌。怖いものだらけで朝晩1時間近いラッシュのなかの通勤。赤ん坊と自分に降りかかってくる緊張と疲労を思えば、家の近くの保育所に預けるのがはるかにラクに決まっている。
あるいは、「職場に託児所を」という要求を女性たちが掲げて行動し、仮にその要求が実現されたとしよう。それは、育児や家事を負担しようとしない男性を、都合のいいように支えていた「良妻賢母」が仕事を持ったことにしかならないのではないだろうか? もちろん、専業主婦なら、ダンナに育児休暇をとってもらうよりは、しっかり稼いでほしいという意見もあるにちがいない。どんなスタイルがいいのかは、当の母親と子どもが決めることであり、そのような意志を実現できる枠組みを実現していくことである。これは「女性」や「母親」だけの問題ではなく、私たち全員の課題であるはずである。
アグネス論争を読む (http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/agunesu.HTM)
アグネス論争、再び (http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/agunesu2.htm)
林真理子がアグネス論争の火蓋を切ったこの日、岩波文庫版ルソー『社会契約論』の代表翻訳者で文学者の桑原武夫(1904−1988)が死去している。
1988年2月9日、アグネスが和平君を連れて『なるほど!ザ・ワールド』に初出勤したのが論争の始まりだったようだ。3月15日、育児雑誌『ピーアンド』に「ママはオマエを自分の手で育てたいので、オマエを連れて仕事に行きます。オマエとママにとっては、ただ、毎日の楽しいおでかけなのよね」と書いた。これに対して、芸能界の大御所淡谷のり子が、3月20日の『おはよう!ナイスディ』で、「芸人は夢を売る商売なのに、楽屋に子どもを連れて来たりすると芸が所帯じみてよくない」と発言する。さらに林真理子や中野翠が批判して、アグネス・バッシングが始まる。
アグネスにも言い分はある。当時、アグネスは12本のレギュラー番組を抱えており、テレビ局から「早く復帰してくれ。子供を連れてきていいから」などと説得を受けて、不安に思いつつ職場に復帰したというのが真相だという。
いま、アグネス論争を読み返すと、働く女性と育児の両立の問題は、あまり進歩がないし、解決されていないことに暗澹たる思いがする。そして、「仕事場で子連れは是か非か」という議論に、どれだけリアリティがあっただろうか。『会社に託児所』を要求しない働く女の論理』と題して、コピーライター竹内好美氏は次のように書いている。
「アグネスが和平君をスタジオに連れて行っているという話題を初めて耳にした時、大多数の働く女性は、好意的に受けとめたことと思う。その時の平均的な心理は「やっぱり母親って赤ん坊とは一刻も離れがたいものだからね。アグネスのような仕事なら、それができるわけだから、大いにやるべきよね。そういう人が一人でも増えてくるのは、また別の側面から働く女性をバックアップすることになるだろうし……」というあたりだったろう。
その後、登場したアグネス批判に対して、働く女性たちからの反論がまったく出なかった理由は、林のヒステリックな論調に嫌気がさしていたこともある。しかしそれ以上に論争の中心が「仕事場で子連れは是か非か」という、働く女性の側からすればおよそリアリティーのないテーマに終始することになってしまったからなのだ。」
アグネス論争から17年、大手企業の中にはオフィスの近くに保育所をつくるところも出てきている。しかし、その利用率は必ずしも高くないと聞いている。この不況下において中小企業にはそのような余力があるところは多くない。派遣労働者については言わずもがなである。
女性労働者はもちろん、その正当な権利として、仕事場に子連れで行くことを企業に要求できる……しかし要求する女性は少ないだろう。赤ん坊を抱いて道を歩くときに潜む、さまざまな危険。行き帰りの階段の昇り降り。電車の中にうようよいる病原菌。怖いものだらけで朝晩1時間近いラッシュのなかの通勤。赤ん坊と自分に降りかかってくる緊張と疲労を思えば、家の近くの保育所に預けるのがはるかにラクに決まっている。
あるいは、「職場に託児所を」という要求を女性たちが掲げて行動し、仮にその要求が実現されたとしよう。それは、育児や家事を負担しようとしない男性を、都合のいいように支えていた「良妻賢母」が仕事を持ったことにしかならないのではないだろうか? もちろん、専業主婦なら、ダンナに育児休暇をとってもらうよりは、しっかり稼いでほしいという意見もあるにちがいない。どんなスタイルがいいのかは、当の母親と子どもが決めることであり、そのような意志を実現できる枠組みを実現していくことである。これは「女性」や「母親」だけの問題ではなく、私たち全員の課題であるはずである。
アグネス論争を読む (http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/agunesu.HTM)
アグネス論争、再び (http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/agunesu2.htm)
林真理子がアグネス論争の火蓋を切ったこの日、岩波文庫版ルソー『社会契約論』の代表翻訳者で文学者の桑原武夫(1904−1988)が死去している。