1919年4月6日、英領インドのローラット法(刑事緊急権限法)の施行に抗して、ガンディーは総ハルタルを呼びかける。ハルタルとはあらゆる仕事をやめること。「ゼネスト」と訳されることもある。インド独立運動における非暴力・不服従運動の幕開けである 。

 グジャラートの庶民階級に属する商人の家に生まれたマハートマ・ガンディ(1869−1948)は、1888年から3年間、英国に留学し、弁護士資格を取得する。この3年間の留学中に、はじめて古代インドの叙事詩『バガヴァッド・ギーダー』(神の歌の意)の英訳に接し、新約聖書に学び、クロポトキン、トルストイ、ラスキンなどの思想に触れる。その後、南アフリカに渡り、インド系住民の非暴力不服従運動を組織しつつ、自分の運動をサティヤーグラハ(「真理の把持」)と名づけた。1914年に成功裡に南アフリカにおける抵抗運動を終え、翌年帰国した後は、北ビハールの農民運動を出発点に、インド独立運動に参加していく。
 1919年3月に制定されたローラット法(ローラットとは、法律制定に先立ち組織された調査委員会の委員長の名)は、令状なしの捜査・逮捕、裁判なしの投獄を認めるものだった。これは1915年に第一次世界大戦中に制定された治安維持法「インド防衛法」を、独立運動弾圧のために継続しようと画策するものであった。インドの人々は、イギリスに対する戦争協力と引きかえに、戦後の自治を要求してきただけに、ローラット法は「恩を仇で返す」裏切り以外の何物でもなかった。
 パンジャブ州のアムリッツァームで開かれた抗議集会には、軍隊が発砲して1000人を超える死傷者を出して、さらにインド人の反英運動を加速する。これを機に、ガンディを指導者に、ヒンドゥー系の国民会議派とムスリム連盟が提携し、全国的な非暴力不服従運動が生み出されていくのである。

 ガンディによりあらかじめ予告されたハルタルの日、4月6日、インドの全地方で、ハルタルは整然とまもられた。たかをくくっていたインド政庁は、このハルタルに驚き、にわかに民衆を圧迫しはじめる。ガンディも4月9日逮捕される。まもなく釈放はされたが、ガンディー逮捕はさらに反英運動に火をつけて、激昂した民衆は、サティヤーグラハの戒めを乗り越えて暴動化する。
 
 4月11日、ガンディーは民衆に警告する。「これはもうサティヤーグラハではない。もし非暴力をもってじゅうぶんにこの運動ができなかったのなら中止すべきだったのだ」。ガンディは民衆の暴行の償いのため三日間の断食をはじめた。

 1922年2月の反税闘争では、国民会議派のグループが警察署を襲撃し、インド人警官など多数の死傷者を出す。これをひどく悲しんだガンジーのことば。
 「民衆に非暴力を期待したのは、ヒマラヤ山ほどの大誤算だった」
 
 非暴力直接行動とは、暴力やテロリズムを排除し、ゼネスト、ボイコット、デモンストレーションなどの非協力、不服従によって、不正な権力への直接的抵抗を行うものだ。議会主義に立脚した間接的な抗議運動である「非暴力間接行動」とは区別される。しかしインドの独立運動は、決して、ガンディの理想どおり「非暴力」的に進行したわけではなかったことも知っておく必要がある。

 映画『ガンジー』(1983年)に、こんなシーンがある。ヒンドゥー教徒とムスリムが対立し、それをやめさせるための断食をしているガンジーのところに、一人のヒンドゥー教徒がやってくる。ガンディに武器を捨てることを約束したあとで、男は食物を差し出す。「食えよ。アンタを死なせたくないんだ。オレの子どもはムスリムに殺された。だからオレもムスリムの子どもを殺したんだ」と告白する。それに対するガンディの言葉。

 「地獄から抜け出る道が一つだけあるよ。子どもを拾ってきて育てなさい。ただしムスリムの子どもだよ 。」

 映画のなかだけのフィクション? そうかもしれない。このシーンは、あまりにもガンディを神格化しすぎではないのだろうか。しかし、そうでもないらしい。『ガンジー・自立の思想』(地湧社)翻訳者・片山佳代子氏のサイト「ガンジー思想と私」より。
http://homepage1.nifty.com/kayoko/index.htm

 「殺さないというだけの意味でしかない非暴力は、私には何ら訴えるものがありません。もし心に暴力があるなら、暴力を振るう方が、無力を隠すために非暴力の外套をまとうよりもましです。いかなる時でも、無力を嘆くくらいなら暴力を振るう方が好ましいです。暴力的な人が非暴力的になる希望はありますが、無力なままでいる人にはその希望もありません。」(ガンジー語録)

 ガンディの文献は、たくさん出ている。ぜひとも手に取ってほしい。
 「マハトマ・ガンディの非暴力の思想について」
 http://www.geocities.jp/shinsoujisei/gandhi/

 今すぐ読みたいと思う人には、ガンディの論文は「プロジェクト玄白」でネット上で読むことができる。

 建設的計画:その意味と役割
 http://www.genpaku.org/constprogj.html

 最後に、脱線となるが、ガンディの後継者たちと交流して、全財産をインドでの砂漠緑化事業につぎ込んだ杉山龍丸(すぎやまたつまる  1919−1987)の業績も紹介しておきたい。祖父は政界の黒幕として活躍した民族派の巨魁・杉山茂丸、父は『ドグラ・マグラ』の夢野久作(杉山泰道)である。

 杉山龍丸氏の電子アーカイブ
 http://www31.tok2.com/home2/tanizoko/

 日本ではあまり知る人もいないようだが、龍丸氏は今もインドの人々に「Green Father」と呼ばれて敬愛されているという。